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◆ 「情報社会学序説」に見る市場社会の「べき分布」

◆ べき分布とは何か

金融や経済を物理的な視点で解析しようとしたのが経済物理学であった。この概要については、本誌でも以前高安秀樹氏が自書紹介の際に解説(第82号)して頂いたこともあるし、筆者の講演概要を整理した際(第58号)にも言及したので、反復は避けたい。今回は、むしろ社会学的な意味で、経済物理学が金融・経済解析に使ったその方法を情報社会の分析に用いるという、たいへん示唆に富む書物を紹介しつつ、その方法論を市場社会への問題意識に連結してみよう。

その書物とは公文俊平氏の「情報社会学序説」(NTT出版)である。公文氏と言えば、「社会システム論」などで有名な、経済学者というよりも社会学者といったほうが適切な、情報社会・ネットワーク社会を積極的に語る碩学である。その大御所が、経済物理学が発見した経済・金融社会の「べき分布」を高く評価して、その情報社会の分析道具に利用しようと考えているのが本書である。

まず、「べき分布」とは何か、簡単に述べておこう。金融で分布といえば、まず正規分布であるが、そういうものは実はあまり多くない(TFJサイトで連載中の「ビジネス確率感覚」をご参照頂きたい)。次に良く出てくる二項分布も、実は正規分布を理解するためのステップとしての重要性を除けば、あまり実用性がない。人間社会においても、身長など身体的特性には正規分布が見られるが、社会的特性に関しては正規分布などほとんど見られないのである。

1980年代に英国で勉強させられたオプション理論で、真っ先に違和感を抱いたのがこうした確率分布であった。それは経済物理学が既に解決してくれている。為替でも株式でも、そして恐らく金利やクレジットの世界でも、価格変動の確率分布は「べき分布」に従うのである。因みに「べき」とは「冪」と書き、Xのn乗といった数字の総数をXの冪、nはXの冪指数と呼んだりする。おそらく読者の多くは累乗といった呼び名の方に慣れておられよう。やや単純化して大雑把に言えば、べきとは累乗で指数表現される数値のことだと思えばよかろう。

難しく考える必要は無い。このべき分布は、社会で真面目に働く人は20%しかいない、というマーフィーの法則のようなものだ。綱引きで本気で「稼動」しているのも20%だと言われる。職場でもそんなものだろう。この一般現象は、経済学のパレートの法則(所得金額とその人数との関係)や、言語学のジップの法則(英単語の出現頻度と出現順位の関係)などと同じ方程式から演繹される。

経済においても、企業所得の累積分布や金融資産の累積分布、また経営においても顧客売上累積分布も、このタイプの法則が当てはまる。要するに、事象はランダムではなく偏った出現の仕方、それもある規則性を有する出方をすることが多い、ということだ。

それは、難しく言えば「べき法則を確率密度関数とする累積確率密度分布関数として」すべて同じように解釈できる、ということである。簡単に言えば、y = cx ̄aのように、xとyの間に定数cとパラメータとしてのべき指数aが存在するような関係式のことである。これを対数変換すれば、logy = log c - a log x となり、縦横にlogを取る対数グラフ(log-log plot)でみると、一本の直線で表現できるので視覚的にはとても解り易い。

ちなみに為替レートの変動が、こうした一直線のグラフに近似できることは、拙書「金融マーケット入門」(日本経済新聞社)のp160に解説してあるのでご参照願いたい。但し、ここではべき分布の解説をすることが主目的ではないので、経済活動にこうしたべき分布が一般的に見られることが、様々な社会的な事象の中でも実証されている、ということを指摘するに止めたい。

◆ 社会的ネットワーク

ある事象がべき分布をする、ということはランダムではなくある法則性をもった行動が観察できる、ということである。それも、偏りのある法則性である。公文氏は、本書の中でこれを社会のネットワークに関連付けて考えている。

まず面白いのは、社会のネットワークも相場と同じようにランダムに見えて実はそうではない、ということが解ってきたことだ。従来、社会の各ノード(点或いは個人)がどのようにリンクを持てば社会全体のノードと連結出来るかといった問題に対しては、数学者がランダム理論を以って説明していた。

だが、「実験社会心理学」の研究で、「地球上すべての人々は、お互いにファーストネームで呼べる知人に次々と中継してもらえば、たかだか6度の中継で手紙で連絡しあうことが出来る」という可能性が示された。公文氏はこれが人間社会にはランダム性よりも所謂「スモールワールド」性が強い、ということの証であったと述べる。

そしてこの研究は現代のネットワーク社会つまりインターネットへの研究に繋がる。例えば何回クリックすれば、あるウェブサイトからあるサイトに到達できるか、といったウェブ上の平均隔離度の調査である。ここにも、ランダム性ではなくスモールワールド性が出てきた。そしてリンクの分布がなんとべき分布になっていたことも解った。

つまり、圧倒的多数のノード(ウェブサイト)には殆どリンクが張られておらず、ごく少数のノードに極めて多くのリンクが張られている構造である。この構造は、スケール・フリーであるから、ネット社会が進化してどんどん濃密な状態になっていっても変わることが無い。即ち、すべてのノードが強力なハブ機能を持つことは出来ないのである。こうしたインターネット社会のべき分布は、金融市場での価格変動分布の非正規分布性よりも、恐らく直感的に納得しやすいだろう。

3月14日の朝日新聞で、情報学者の西垣通教授がライブドアの問題に関連してネットワーク分析について語っていたが、その中でもネット空間の平等性について疑問を投げ掛けている。つまりハブ機能を持つページがネット空間の王者となり、ページ群はハブを核とした集塊を形成する。このネットワーク構造は、自然界の神経細胞ネットワークから人間社会の人脈ネットワークまで至る所で共通性をもつ。いわば、自己組織的な同調作用が働いているのである。ブログの世界もまた、べき分布で表現できる現象だ。

◆ べき分布は悪か?

このべき分布に従う社会のあり方を、富や所得の集中に結びつけ、倫理的に好ましくないものだと考える人もいよう。公文氏は、べき分布の解消を狙う例の一つとして「公の原理」に基づく政策的介入を挙げる。独占禁止法、累進課税制度、最低賃金法、所得再分配制度といった施策である。だが、反対にこうした政策が過剰になれば、平等性による社会活力の減少に繋がるという懸念も生じることになる。

現実世界に帰ってみよう。本年はこれまで先送りされてきた政府系金融機関の制度見直し議論が復活する可能性がある。現在、民間の金融界で抱かれているイメージは、競争原理に基づく「べき分布たる民間金融」に「公の金融原理」が強く稼動した結果、分布が均等化されている、といった姿であろうか。

勿論、理屈から言っても自然のままのべき分布が最良という訳ではなく、全体の底上げ感が達成されるのであれば「公の領域」の存在意義は大きい。だからこそ官民の協力体制が要求されているのである。だが、こうすればそうなる、という直線的な保証はどこにもない。

公文氏は、圧政・独占による過去の不自由で貧困な社会のべき分布支配から、民主的で近代的な、そしてさらに情報化した社会に移行して、解放されるのであればそれで良い筈だが、上記から明らかなように、情報化社会の平等的ネットワークは、全く平等ではなくむしろべき分布で示される新しい階級分裂さえ予感させる、と警戒する。

だが一方ではそうしたべき分布が「この宇宙の中で最も普遍的な分布である」という高安秀樹氏の言を紹介し、必ずしもこれが不安定な分布ではなく安定分布の一つであることをベースに、むしろ社会はこれを肯定的に受け止め、べき分布の人為的是正(歪曲)よりもべき分布との共生を受け容れやすくする工夫を講ずることが、情報社会の政策課題とされるべきだろう、と結論付けている。

政策金融は、民間との棲み分け議論で語られることが多いが、その定義づけが人と立場によって全く異なるため、総論では喧嘩にならないが、各論はまとまらないのが常である。本年もまた制度見直し論で同じ話が繰り返されるだろう。だが、公文氏の言にあるように、べき分布の受容という概念の共通土俵を持つことが、合意への一つの可能性を示すことにならないだろうか。金融制度論は、経済学的、解釈学的議論に止まらず、社会学的なアプローチをも参考にすべきであることを、あらためて認識させられる。

2005年04月08日(第096号)