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◆ セルサイドとバイサイド

◆ 銀行の存在感

金融とは何かと問われて、「お金を融通する仕事」だと考え、銀行や証券会社を思い浮かべるのはもう時代遅れなのだろうか。昨今、金融業界を志望する動機として、ファンドのような運用者になりたいという声が圧倒的に多いようだ。先日も、あるIT業界の方から、金融関係に転職したいのだがという相談を受けた。その場合の「金融」のイメージは、あきらかにキャピタリストなのである。

銀行が「資本家」だった頃は、ある意味で「金融元禄」の風潮で彩られた、危機感に無縁の古き良き時代であった。銀行が無限の信用力を背景に経済社会に資本(株)と資金(負債)を与え、産業や企業を振興する。原始資本主義においては、完璧な金融システムである。あまりに完璧すぎて、証券会社は出る幕すら無かった。

思えば私が就職を決めた頃、銀行は巨大な「学卒吸収機関」であった。ゼミ生10数名のうち、半数が銀行へ行った。東銀は私1人だったが、興銀に1人、長銀に1人、三和に1人、富士にはなんと4人行った。そのうちまだ銀行に残っているのは半分もいない。因みに証券会社への就職はゼロであった。

銀行は、深刻な金融危機を経ていま再建途上にある。その存在意義が、社会から消滅することはまず有り得ない。だが、その役割の性格や必要性の重要度には、大きな変化が生じたことが見える。それは、「金融コアビジネス」としての象徴が、銀行や証券ではなくファンドやアセット・マネジメントのような所謂「バイサイド(Buy-Side)」に移ってきたことの裏返しなのであろう。

誤解を恐れずに言えば、従来の「バイサイド」とは、「セルサイド(Sell-Side)」に比べてやや給与水準の低い、地味で時間軸の長い、そして息の長い仕事であった。金融市場では常に、「バイサイド」よりも「セルサイド」に対して厳しいプレッシャーとそれに伴う高い報酬とを与えてきた。若い知性は「セルサイド」の厳しい競争環境の中で教育され、適性の無い物は即座に振り落とされて行った。そこで生き延びた人々の中には、齢を重ねるにつれて経験を活かすべくバイサイドに転向していく者もあった。

今ではその基本構造が大きく変化しようとしている。現代の若い世代は、むしろ豊富な資金力をベースにした「バイサイド」の仕事の魅力に、まず引き寄せられている。キャピタリストとして、或いはアナリストとして、企業や市場を観察し投資することから金融キャリアを始めるのである。これも、流動性過剰の「資金力ありき」の現代であるからこそ、生まれた現象なのかもしれない。

◆ 時代はバイサイド

バイサイド、セルサイドは従来有価証券ビジネスにおいて用いられてきた用語である。証券会社や投資銀行の仕事は典型的なセルサイドであるが、最近では投資銀行がバイサイドのビジネスを積極化させており、同じ組織に矛盾する二つの顔を持つようになってしまった。

こうした分類法をやや乱暴に日本の銀行の仕事に当てはめるとすれば、企業融資の仕事は「融資を買う」という意味で債券投資と同じバイサイドと言える。だが、このバイサイドは預金を融資に利用するという性格が強い為、「お金を売る」という意味ではセルサイドと言えなくもない。資金仲介という役割を前面に打ち出せば、証券会社だけでなく銀行も「日本のセルサイド」を代表する機関であると表現することも出来る。

その一方で、いまバイサイドの存在感が急浮上している。もともと投信運用や生損保のポートフォリオ運用などがバイサイドの典型ではあるが、世間の目がバイサイドに釘付けになるのは、不良債権ファンド、事業再生ファンド、買収ファンド、ヘッジファンドなどが登場してからであろう。こうしたバイサイドの派手な活躍が、金融に対する世間の注目点をセルサイドから強奪してしまったと言えよう。

新奇な価値観を持った人々が入り込むことによって、金融が刺激されるのは良いことだ。それは別に悪いことではないが、新たな潮流は時に困った結果をも生み出す。金融の基本教育を受けていない人々(例えば村上某)がバイサイドの旗頭に担がれ、金融の本質を知らないメディアと政治家がそれを時代の寵児と評して持ち上げたのは、その一例に過ぎない。既存バイサイドの人々には、酷く迷惑な話であった筈だ。

但しこうした時代のうねりは、決して逆戻りすることはない。当面、銀行や証券などセルサイドが以前のような脚光を浴びることはないかもしれない。時代は、バイサイドなのである。金融志望者がバイサイドにより魅力を感じているのは、必ずしも一時の流行とは言えない雰囲気がある。「投資の時代」の到来もそれを裏付けている。流動性過剰の時期が終焉を迎えたとしても、セルサイドがすぐに金融の中心軸を奪取することは難しそうだ。

そもそもセルサイドの強みは、商品供給地や商品設計部門、そして価格決定地点近くに位置することであった。市場分析や商品分析のツールが手許にあることも有利であった。だがファンドの隆盛によってそうした情報を装備した人々が一斉にバイサイドに移り始め、セルサイドの比較優位が消滅したことも大きな変革である。

知識も経験も技術も備えたバイサイドにとって、セルサイドはもはやショッピングセンターの一部でしかないのかもしれない。投資銀行がヘッジファンドのプライム・ブローカーとして懸命に稼いでいる姿は、その象徴的な事象であろう。欧米市場を見ていると、海外の銀行や証券会社が「バイサイドの時代」に生き残るには、言葉は悪いが、バイサイドの御用聞きに徹するしか方法がないのかもしれない、と思ってしまう。因みに欧州ではヘッジファンドが国債取引システム(MTS)への直接参加を要請している。仲介者など不要だというメッセージでもある。

◆ 私の転職再考

私が銀行を退職したのは、別にそうした時代を見越したからでもない。それほどの鋭い洞察力があれば、そもそも大学を出て銀行に就職などしなかっただろう。欧米市場のダイナミクスに驚き、邦銀の経営力に疑問を抱き、自分の力試しをしたくなって、銀行再編を機会に組織を飛び出したに過ぎない。

ほんの10年ほど前のことではあるが、その時点ではまだ仲介役としてのセルサイドの威力を信じて疑わなかった。向かった先は、商業銀行を捨てて投資銀行に邁進していたバンカース・トラストである。派生商品のセルサイドとしては、並みの会社ではなかった。だがその弱点も並みではなかった。私は、流石にバランスシートの全く無いセルサイドには耐えることが出来ず、程なくして知り合いから誘われてチェース・マンハッタンへと移った。

そこでのセルサイドは、実に地に足の着いたものであった。適度のバランスシートと高い技術力、幅広い顧客層に、経営力もあった。シンジケート・ローンへの取組みなどは、まさに「セルサイド究極の姿」のように見えた。但しチェース在籍中に一番印象的だったのは、チェースがプライベート・エクイティ投資に信じられぬほど巨額の資金を投じていたことであった。

詳細は書けないが、チェースによるバイサイドへの意識は尋常ならぬものがあった。だが最終的に経営陣は、セルサイドとしての投資銀行強化のためにJPモルガンの買収を行い、その後は一転して商業銀行への回帰としてBank Oneを買収する。そうした判断の揺れを見るにつけ、当時の経営陣の本音はひょっとしてバイサイドへのシフトであったのではないか、と勘繰りたくもなる。それを断念させたのは、ITバブル崩壊に伴うあの「ニュー・エコノミー世界観」の瓦解であった。

仮にITバブルの急激な崩壊がなく、緩やかなSoft Landingといった市場変化であったならば、あの会社はセルサイドとバイサイドとに分解したユニットで構成される金融ホールディング体制になっていたかもしれぬ。1990年代後半、彼等は既にバイサイドの時代の到来を感じ取っていたのだろう。ゴールドマンのプリンシパル・ファイナンスの成功は、その後の評価はさておき、時代を先取りしたという意味ではまさに嗅覚の勝利であったと言えるかもしれない。

◆ バイサイドの危険性

日本の経営層では、まだ商業銀行と投資銀行といった範疇での金融談義を続けているところもあるらしいが、流石に若手・中堅世代は時代がバイサイドに流れ始めていることに気付いている。ただ、日本のバイサイドにとっては順風満帆といえないことも多い。

まず、教わる先輩が圧倒的に少ない。企業審査など人や会社を見る目を持った人材が、金融業界ではあまり重宝されずにリストラ時代に追い出されてしまった。ローン実務の隅々まで解る人も実は希少価値なのだが、こうした人材も外部には出てこない。実はローンの実務はファンドにとって極めて貴重なアセットなのである。また市場分野は業務縮小方針の影響をモロに受けたため、市場の荒波を潜り抜けた猛者の絶対数も少ない。

そして投資機会の絶対数の乏しさも問題だ。例えば事業再生がブームとなり、雨後の筍の如くファンドが組成されたが、コミットメントは受けたものの案件がなくドゥロー・ダウンがゼロというファンドも珍しくない。メディアで盛んに紹介されたファンドの中にも、今では閑古鳥だと嘆く人もいる。

既に月刊誌などで報道されているが、注目を浴びたすかいらーくのMBOも、そうした案件欠乏に困ったファンドが仕掛けたものだと言われている。弊社にも似たような相談が来たりしている。経営判断というよりも案件獲得に必死のファンドによって企画・主導されるバイアウト案件は、恐らく水面下でゴロゴロしているのだろう。

また鳴り物入りで設立された再生機構が、目玉のダイエー再建から事実上手を引くという失態を演じたことも、今後の日本でのファンド運営に影を投げかける。王子製紙のM&A失敗も、企業再編に期待を寄せるイベント・ドリブンのバイサイドには大きなショックだったのではないか。

さらにヘッジファンドの分野においては、立ち上げては潰れるというケースが増えているようだ。市場実績の乏しいままに、やや逆風が吹くと直ぐに倒れてしまう虚弱なファンドも少なくないと言われる。今後徐々に金利が上昇すれば、ゼロ金利時代の世代は思わぬショックを受けることもあるかもしれない。

別にバイサイドの仕事を批判するつもりはないが、最近のあまりに安易なバイサイドへの指向トレンドにはやや危険な匂いがする。自己資金だけを運用するバイサイドなら何の問題もないが、人のお金を預かり、社会に貢献しつつ、利回りを上げるというのは、簡単そうに見えて相当に難しい仕事なのである。

バイサイドは、従来の商業銀行に代わって今後の日本経済を支える機能を持つ可能性すら秘めるものだ。投資立国に繋がるコンセプトでもある。そこには社会におかれた金融の位置を鳥瞰するくらいの素養が求められる。そんな重要な仕事を、あまり軽率に扱って欲しくない、というのが元セルサイドで苦闘した身からの戯言である。

2006年10月20日(第133号)