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◆ クレジット「新技術」の効果

◆ 技術開発のレビュー

1992-3年頃、Bankers TrustがCredit Linked Noteを発行してから、クレジット市場はTotal Return Swap(TRS)、Credit Default Swap(CDS)、Synthetic CDS、など様々な革新的商品を生み出してきた。そしてここ数年のCDS市場の急速な拡大と歩調をあわせるかのようにCPPI(Constant Protection Portfolio Insurance)といったダイナミクスを伴う商品の開発が始まり、現在ではCPDO(Constant Protection Debt Obligation)といった新商品も生まれている。

CPPIやCPDOに関しては、既に本誌134号の「記者の眼」で田中雅史記者が最近の市場動向を伝えているが、こうしたクレジット新商品が金融市場や金融システムに対して今後どのような影響を与えるのか、少し頭を整理しておくことも必要だろう。

もともとのCredit Derivativesの発想は、Bankers Trustがその膨大なSwap PortfolioにおけるCounter-party Riskに対して「保険」をかけようとしたものだ。筆者自身が1992年頃に同行を訪ね、直接幹部から聞いた話なので間違いないだろう。実際に日本の投資家に販売された商品を見ても、本邦優良企業への保険を日本の機関投資家に保険料を支払って掛けている、という構図になっていた。

そこにはリスクは変動するもの、というBankersならではの経営哲学が込められていたと言って良い。10年以上も前のあの当時に、為替や株式だけでなく超優良大企業の信用力も激しく変動することは有り得るのだという発想を持ったのは天才的であるとしか言いようが無い。Bankersという経営は消えたが、この発想は見事に残った。

だがこれがすぐに一般的に普及した訳ではない。むしろ他の米銀は、この豊かな発想をポートフォリオ削減のための「リスク移転」という技術開発に向けていく。TRSもCDSもそうしたコンテクストで生まれ、育っていった。これが市場での流動性を得て、債券のヘッジ・裁定手段としての利用も広がる。その後の急速な発展はご存知の通りだ。

1997年のアジアやロシアでの「ショック」で、ソブリン・リスクという信用リスクで大きな損失を被い、業務縮小に追い込まれた欧米金融機関も、2001年のエンロン事件や2002年のアルゼンチン・デフォルトではその荒波を乗り越えた。そこに、「第一世代」のクレジット移転やヘッジの技術が貢献したのは間違いない。

◆ CPPIとCPDO

さて、ここで敢えて「第二世代」と名づけるCPPIやCPDOは、どういう影響をもたらすのだろうか。こうした商品はPortfolio InsuranceやConstantといった言葉が示すように、市場変動に基づいてレバレッジ・アクションを起こすものである。例えばCPPIはクレジット悪化に対して防衛的になるが、CPDOは反対にレバレッジを高める方向に動く。

1987年のBlack Mondayのトリガーを引いたとして、当時option戦略の一つとして注目されていたPortfolio Insuranceが悪玉扱いされたことは記憶に新しいところである。クレジット市場においても、こうした変動を加速する力学の内在が、市場を撹乱する可能性がないとは言えないだろう。

実際に2006年後半の欧米市場は、このCPDOの組成を先取りしたような動きでPremiumが急低下していった。手元に十分な資料はないのだが、8月にABN AMROがCPDOの第一号を組成した以外に確認されているのはもう一件のみで、合計は約15億ユーロに過ぎない。だが市場では約50億ユーロの発行が予定されていると言われており、これがCDS市場の需給を猛烈にタイト化させていると聞く。

何せ、CPDOには最大15倍のレバレッジが組み込まれる仕組みとなっており、50億ユーロの組成は単純計算すると750億ユーロのCDS取引を誘引する。これは欧州市場の一日当たり取引量の2倍程度と推測される、とFT紙は報じている。こうして欧米市場でも、恒常的に日本市場で見られるような「プレミアム潰し」が始まった。

だが問題はプレミアム水準そのものよりも、株や為替のように市場流動性が相当程度担保されているとは言えないクレジットの世界で、こうしたPortfolio Insurance的な自己言及型の商品の成長が市場自身の成長を止める、つまり自分で自分の首を絞めるという結果を生むのではないか、という懸念である。それはクレジット供給のシステム体系を無理に歪めるリスクを伴うからだ。

リスク転売を目的とした第一世代のクレジット商品開発は世界的なリスク・コントロールに寄与したが、運用を目的とした第二世代のクレジット商品開発は、別の姿をもたらしそうな気配もある。新技術展開の意味は重要だが、技術には常に懸念が伴う。

◆ CPDOへの投資と格付け

最近市場を賑わせているCPDOの開発とは、投資家が直面する問題が増えるということでもある。既にクレジット市場はリンク・ノートやシンセティックCDOを生み出しており、CPDOもその延長に位置付けられる。

AAAと格付けされた証券化商品がAAA格付けの社債と全く別物であることは、世界の機関投資家なら即刻承知済みであるが、それが具体的にどういうリスクに晒されており、結果的にどういうシナリオでどんな経済的打撃を受けるのか、自信を持って予測することは難しい。

AAA格でLibor+100BPといった構造は、どう見てもマヤカシに思える。現代の商品開発担当者には失礼な言い方だが、少なくとも「一昔前の商品開発担当者」にとっては違和感がある。それも時代なのだ、と言われればそれまでだが、運用の概念にそれほどのジャンプ過程が存在するとは思えない。

AAAを付けるS&Pも、キャッシュフローのクッションのあり方が重要だと言っているだけであり、それが十分な水準に維持される仕組みだと述べている訳ではない。一般的な証券化の枠組みを越えた、レバレッジのダイナミクスを胚胎した商品への格付け概念は、従前のイメージで計ってはならないだろう。この商品の格付けは、デフォルト・リスクというよりも価格変動リスクを表徴しているように思えてならない。格付けという概念も既に変質してしまったのだろうか。

仮に、CPDO組み入れ銘柄の大幅な信用力低下が起きれば、CDSのロールとともにそれが投資対象外となって外される一方で、レバレッジ自体は膨らんでいく。何だか相場のナンピンのような仕組みである。結果オーライの場合もあろうが、自省を込めて言えば失敗した場合に言い訳が立たないのが「買い下がり」である。こうした商品が本当に投資家の支持を得られるのか、現時点ではやや不安を感じざるを得ない。

◆ 技術・市場の来し方行く末

とは言え、金融は技術革新の止まらない分野でもある。市場の勢いや金余りの(もはや金腐り、とでも言うべきか)投資家のニーズが存在する限り、転売可能となったクレジットを利用する運用商品の開発は、第二世代から第三世代へと続いていくだろう。過剰流動性が、緩和政策の結果などではなく単に資本の過剰蓄積という現代病の症状である限り、その動きはもう誰にも止められない。

CPDOに限らず急速に拡大する証券化の中に埋没していく企業金融のリスクは、いずれ個別では観察しにくくなるだろう。GMの負債リスクは誰が負っているのか、アイフルの債権者とはいったい誰なのかが解らなくなるということである。本年はそういう事象が起こり始めた元年と言っても良いかもしれない。

エンロンやワールドコムのデフォルトにおいては、信用リスクが米銀から世界中の機関投資家に分配されていたのが何とか見えたが、今後の大手企業のデフォルトに関しては、CDOやCPPIやCPDOを分解して埋め込まれたCDSを掘り出し、それらが誰の手に保有されているのかを特定しないと解らなくなる。或いはそのCDSがどこかのFundに一極集中していた、ということも有り得ない話ではない。

逆に、こうした仕組みがデフォルトを起こしにくくさせているとの指摘もある。従来の大企業デフォルトは、債権者が経営に見切りを付けるということでもあった。その債権者が細かく世界中に分散するようになれば、見切り判断の合意など出来るはずも無く、むしろ自己防衛機能が働いて世界中の企業がまさに「ダイ・ハード企業(死なない会社)」になってしまう恐れもある。

実際にそうしたことが起こる可能性は小さくない。それは、「学説的には下がる筈のドル」が、誰もドルの下落を望まなくなって何年も持ち堪えているという為替市場で既に体験済みである。市場が、資本の過剰蓄積を通じて自己弁護的な存在に変化してしまったからである。ついに、クレジット市場もその仲間入りしたか、という気がしないでもない。

CPPIやCPDOなどの技術進化は、その変革に沿って動きその潮流を後押ししているとも言える。現在のプレミアム急低下は、ダイ・ハードなのだからプレミアムは潰れて当然、という宿命論(循環論というべきか)を語っているかのようだ。

もっとも、市場力学はいつも振り子である。振り切るように見えて、また舞い戻ってくるのが金融市場だ。クレジット市場が本当に「ダイ・ハード」になることはないだろう。新興国のCDSスプレッドが反転して急拡大するかどうかは解らないが、少なくとも企業のCDSは行くところまで行けば、いずれ反転するに違いない。

何と言ってもCredit Derivativesは、バンカースの連中が「優良企業の信用力はいずれ低下する」と見込んで作ったものだ。そんな技術が「信用力は永遠に不滅です」といった世界を作る筈が無い、と心密かに思っている。

2006年12月01日(第136号)