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◆ 金融機能主役変遷の意味

◆ クレジット・ヘッジ

クレジット・リスクを説明する上で難しいのは、それが数量的にうまく説明できないところにある。為替リスクだと、100万ドル持っている日本人は1円動くと100万円損益がぶれることは明確にわかるし、株式では10万円の株式を10株持っている人にとって1万円の株価変動で10万円分時価が変わることも自明である。

だが、A格の社債を持っている人にそれがBBBに格下げされてどうなるか、と一言では語れない。Bまで格下げされて価格が80円台に下落しても、デフォルトさえなければ満期には100円に戻る。仮に、その会社が倒産してしまったとしても社債の残余価値がいくらかを事前に正確に推定することも出来ぬ。

従って、何故クレジット・リスクのヘッジが必要なのかという素朴な問いは、実は大変答えにくいものである。金融ムラ内部であれば、融資削減などの要請もありそのヘッジ(或いは転売)の必要性は暗黙の了解として何となく理解して貰える時代になったが、一歩金融の外に出るとこれが意外に難しい。そもそもクレジットとは、太古の昔から一般にヘッジされて固定されたものであったからである。

為替リスクのヘッジは、為替市場が変動しない時代には必要なかった。金利も同様であろう。だがクレジットはもともと分散や担保、保証などのヘッジが無ければ存在し得なかった経済行為である。金貸しが担保を取るのは、常識以前の当たり前のことであった。つまり、クレジットの提供とはヘッジを前提として生まれたものなのだ。

「担保に依存しない金融システムを作れ」と言う無責任な評論家や銀行アナリストの言が、如何に非現実的であったかは既に証明されたのも同然である。海外の金融経営は無担保主義だと事実を歪曲して伝えたメディアの責任も重い。だが、こうした発言を今更責めても仕方ない。我々の課題は、これからの金融システムがクレジットにどう対応するか、という将来像を見据えて、日本のクレジット市場がどう変化するのかを先読みすることである。その準備作業の為に、一歩下がって過去30年ほど前に立ち戻り金融市場での主役がどう変化してきたのか、その潮の流れのプロセスを簡単に振り返っておくことにしたい。

◆ 市場時代の到来

1970年代は、いわば金融市場における地動説の認識が定着した時代でもあった。人類史上2000年以上も貨幣制度の裏付けに置かれていたゴールドが廃貨され、各国の通貨間レートは無重力状態で上下動する空間に放り込まれた。世界の金融市場は、いつかは固定制度に戻るだろうとの思いを捨て切れなかったが、徐々にそれが無理な願いだと悟るようになる。まるで世界への拡散を止めようとしてそれが適わぬ夢だと認識し始めた(無論、筆者だけの認識かもしれないが)現代の「核兵器問題」と似たような位置付けである。

為替市場とは無慈悲に動くものだという考え方が定着し、金融機関では市場業務を拡大することになる。欧州、特に英国市場はこの点で敏感であった。そもそもポンド・ドルの市場で築いた強固な市場インフラがある。ポンドの地位は低落していたが為替取引の場としては英国には一日の長があった。欧州通貨間の取引を一手に引き受け、日本円などのエキゾチック通貨取引にも乗り出し、為替の重要性にやや鈍感であった米国市場に先立って為替市場の主役を獲得した。この遺産はユーロ・ドル時代となった今でも英国で輝きを放っている。そして為替市場が市場変動への対応をアジェンダに取り込む中、通貨スワップやオプション取引などのヘッジ手法が徐々に金融の世界に導入されていくことになる。

一方米国は、1980年代に短期金利が急変する時代を迎える。マネーサプライの管理に重点を置いた金融政策の下で、米国の短期金利は20%を超えたかと思えば8%に急落、そしてまた20%に、といったジェット・コースター並みの金利環境に直面することになったのである。金利がここまで急変すると、利鞘で稼ぐ金融機関の安定的経営は成り立たない。金利リスクをヘッジしないことには金融システムは崩壊しかねない。米銀は、そこで通貨スワップの手法を金利に適用し、金利スワップ取引を開発する。

市場における価格変動の時代は、こうして「市場対応の金融経営」と「金融における技術開発」を誘引することとなった。

◆ デリバティブズの時代

1980年代はスワップ取引が急拡大した時期でもある。スワップ取引と言えば金利スワップが一般的ではあるが、国際資本市場のダイナミクスで言えば、通貨スワップはまさに資本取引のグローバリゼーションを加速した、と言う意味で画期的であった。

日米欧の大手金融機関が、競って拡大したのがこのデリバティブズ部門である。猫も杓子も、と言えば語弊もあるが、それくらい世界中でデリバティブズの組織強化が行われ人員も急増した。当時、米国でロケットサイエンティストがNASA縮小で失業し、デリバティブズ開発者として金融機関に大量に流れた、といった話もあったが、こうした金融技術開発が生んだ世界的な雇用は、科学者の金融業界流入増とは比べ物にならないほど大規模であった。

金融機関によって増強する部門は多少異なっていたが、一般的に言えば欧米市場では圧倒的に有価証券部門の人数が増えていた。正確な統計はないので断定は出来ないものの、当時は比較的人員増に消極的であった邦銀ですら、証券業が可能であった英国現地法人で大量増員を図っていた時代である。因みに私が在籍していた東銀英国法人の1982年当時の証券人員は10名程度だったが、その10年後には約10倍のほぼ100名に増えている。欧米の規模増ペースは、推して知るべし、である。

勿論、為替市場でもオプション取引の急増でデリバティブ部隊は拡大の一途にあった。そして取引が複雑化・高度化するにつれて開発力・プライシング力に差が出始める。新商品開発に弾みがつくと、さらに人材確保やシステム増強で資金力が問われるようになり、それは収益力増強への指令となって跳ね返る。

そこで躓いたのが、バンカース・トラストであった。同行は商業銀行の看板を捨ててまでデリバティブズに特化した米銀である。デリバティブズという特殊な技術だけに焦点を当てた経営は、収益極大化という単純な戦略の落とし穴に嵌った。また、デリバティブズ取引の急速な増大や複雑化によって市場リスク対応が間に合わず、巨額の損失を被るプロも続出した。こうしてデリバティブズの時代は「リスク管理の時代」を生むことになる。

◆ リスク・コントロールの時代へ

リスク・マネジメントとは今では誰でも口にする言葉だが、これが人口に膾炙するのは1990年代である。金融ではまず市場リスクのコントロールがValue at Riskとともに合言葉となり、経営はリスク管理を語ることが重要任務となった。市場リスクが何だか知らなくても、リスク管理と言えば許された時代でもある。

先鋭化していくデリバティブズの現場と市場に疎い経営との距離感を埋めるべく開発されたリスク管理手法は、どんどん数量化されシステム化されて、むしろリスク管理そのものが経営戦略化するという本末転倒も引き起こしていく。

勿論、リスク管理の高度化が市場化の進む業務の中での初歩的なミスを無くすことに役に立ったことは否定しないが、時にマッチポンプのような現象をもたらすことも往々にして発生する。リスク管理が行過ぎて、現場は思考の自由度を奪われることもあった。またリスク管理が先行して、取引の自由度すら奪われることもあった。挙句の果てに、リスクを取っていない金融機関ほどリスク管理が厳しい、といったジョークも生まれるようになった。

とはいえ、以上はリスク管理時代の到来による被害者意識の強い筆者の戯言に過ぎないかもしれない。最低限のリスク・コントロールはデリバティブズの現場には不可欠の道具であり、経営を安心させるための精神安定剤としての価値はあった。だが、それをBISやら中銀やら、市場に遠い人々が祀り上げ始めると市場は自己収縮や抜け道探しを始める。

◆ クレジット管理

リスク管理の対象は、市場リスクからクレジット・リスクにまで発展していく。それは自己資本比率と大きな関係があるため、当局の関心も当然強まっていく。リスク・テイクの裏側でどういうリスク管理がなされているのか、興味を惹くのは当たり前ではあるが、そもそもおカネの貸し方の分析無しに、重厚なリスク管理の網をかぶせてみてもあまり意味のないことである。

市場リスクの管理に関しては、現場は少なくとも損失機会に対するヘッジ操作の準備は出来ていた。それはVaRなどの力を借りずとも、現場の感覚で充分に対応可能であったのだ。軍事的なアナロジーで言えば、我々のような熟練隊は自分の背負うリスク位は自分で理解できていたのである。同時に自分で理解できぬようなリスクは取ることが出来ない、という自衛的な本能も働いた。すべてをシステムに頼るようなリスク・テイクは、もはや「古い世代」に分類されて化石化されてしまった私には邪道に思えて仕方が無い。

そういう目線でクレジットのリスク管理体制を見ると、その装備は今や米軍システムのように(ラムズフェルド前長官の趣味だったように)完全にコンピュータの世界である。ボタン一つで制御できると思えば、画面に映し出されるリスクに対応すれば良いと思うのは当然かもしれない。だが、如何に洗練された米軍システムとはいえ誤爆も起きるし対空弾道ミサイルの精度もまだ日本の核の傘としては充分な精度も無い。金融のリスク管理システムなど、その最高水準を備えた軍事に比べれば遥かに遅れた産物でしかないことを思えば、大した進化でもない。

しからば、リスク管理はもっと複雑化して高度化するのだろうか。特にクレジットに関しては、まだ改善の余地が有るというのが市場通念である。市場の監視体制は益々コンピュータに依存して、世界の安定に向けたクレジット管理がなされていくのだろうか。

◆ 金融の次世代を予想する

その読みは人それぞれだろうが、私はリスク管理の時代は終了したと思っている。市場リスクもクレジット・リスクも、システム化推進の時代は終わった。そしてリスク・コントロールの時代は、既に抜け穴としての「ファンドの時代」を産んでしまった。それは余剰資金、過剰流動性の時代とマッチングし、増殖中である。それではその「過剰流動性とファンドの時代」は、次にどんな時代を産み落とすことになるのだろうか。

銀行や証券会社がファンドに押され気味なのは、一種の現象論に過ぎない。問題は「金融資本が現実経済に対してあまりに肥大化して蓄積されてしまった事実が何をもたらすか」なのだ。過剰資本は金融緩和の結果ではなく、単なる余剰貯蓄の資本化である。現代社会では、調達は日々容易に、そして運用は日々困難になっている。「運用難」という言葉は、過剰流動性の時代にあって実は当たり前の話であり、ことさら口に出すほどのものではないのである。

今後、お金は有利な運用を目指して彷徨する浮遊体となる。それを一定の顧客ニーズに縛られながら請け負う銀行やアセット・マネジメントの業務は、世界中で(或いは世界史上で)最も難しい仕事に変貌することだろう。実物資産より金融資産が大きい場合、そして金融資産の増加ペースの方が速い場合、その金融資産がさらに増加するには夢を買うしかないのである。クレジットだけを対象に、そのニーズを満たすのは難しい。

そもそも論で行けば、クレジットとはプットオプションの売却に等しい。世界に溢れかえり、高い運用を求めて即座に動き回るお金に対し、オプション売りのアピール性は弱い。攻めるポートフォリオの基本哲学はキャッシュとコールオプションの買いである。つまり、過剰流動性が常態化する社会では、デットよりもエクイティが求められる時代になる可能性が高い。そうなると、クレジットに対して、よりオプションのロング・プロファイルを求める傾向も強まるだろう。それは転換社債やハイブリッド債を超越する、新しい資本形態を生む方向性を生み出すかもしれない。

PEファンドは、ある意味でデットとエクイティを組み合わせた総合金融として利益を稼ぎ出すビジネス・モデルである。邦銀も実は潜在的にその体系を胚胎していたのだが、それを本格的にマネタイズする術を見つける前に崩壊してしまったのは悲劇である。残念ながら、銀行ライセンスを維持しながら、クレジットとエクイティの混合モデルで成長することは難しい。

銀行は、銀行のままでは収益が上げられなくなる。勿論、規制当局の変心によって規制が大幅に緩和されて銀行が復活することもあろうが、趨勢としては銀行が免許を返上してファンド化が急速に進展するシナリオの可能性の方が高そうだ。だが、そうなって初めて、クレジットの存在が意味を成してくるのではないか。エクイティとの密接な関連においてクレジットが議題に上る。これが21世紀のクレジット市場の姿であるような気もする。

日本の場合、クレジット市場の成熟問題は歴史的推移を考えれば銀行経営の問題に帰着せざるを得ない。そして現在からの延長線を描く限り、そこには何の変化も予想できない。だが過剰資本とその貪欲なオプション・ライティングの性癖が、日本の鈍い変化に対して要求を付き付ける日も遠くない。邦銀はいつかエクイティに本格進出せざるを得なくなるだろう。クレジットとエクイティの統合モデルこそが新しい金融像だと気付く時、経営陣は銀行免許の返上を真剣に考えざるを得なくなるのではないか。

2007年01月26日(第139号)