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◆ クレジット・バブルの教訓

◆ 2006年における兆候

世界のクレジット市場は、米国のサブプライム問題で喧騒に包まれている。半年前まで、日本でも殆ど無名であった「サブプライム」なる言葉がここまで有名になったことは、金融市場が如何に闇に包まれた世界であるかを再認識させるものでもある。あれこれ情報収集しているつもりの筆者も、この問題を意識したのはつい昨年12月のことであった。本誌の姉妹誌である「世界潮流第171号(2006年12月8日)」に書いた一節を再掲載してみよう。

『国際的な経済環境は、米国の景況観後退でやや景色を変えつつあるものの、Credit市場にはまだそうした気配を織り込む雰囲気は感じられない。ローン市場も社債市場も、そしてCDS市場も順調に見える。だが細かく見れば多少のリスクも芽生え始めている。一つは米住宅市場の低迷を背景とするMBS市場への不安感であり、もう一つは中国によるアフリカ諸国への貸出急増という新しい、そして不安定な現象である。

米国の住宅市況問題がどこまで経済の全体像に波及するのか、専門家の間でも意見は分かれているが、Sub-prime Loanと呼ばれる信用力の低い人々への住宅ローンの焦げ付きが増えつつあるのは事実である。特に2006年に貸し出された案件では既に不安材料が目立っており、それを証券化したMBSへの「保険料」は上昇中である。本年米国のMBS発行残高は現時点で4,370億ドルと巨大化しており、この市場が揺らぐ影響は小さくない。

MBSに対する「保険」の目安になるのがABX Home Equity Indexである。FT紙に拠れば、ここ数週間で2006年組成のMBSに対する同指数が急落しているという。またBear Stearnsは、2005年以前の組成MBSに比べて、2006年のMBSに対するヘッジコストは100BP以上に拡大していると述べている。Moody’sも2006年のMBS案件の幾つかを格下げのウォッチ・リストに入れており、市場では警戒感が台頭しているようだ。』(再掲)

更に、同173号(2006年12月22日)では次のように書いた。

『2006年の米国経済は、順調な成長路線を維持したと言えるだろう。FRBの約2年間にわたる金融引き締め策にも耐えて、最大のリスク要因と指摘された住宅市場の影響も最小限に抑えて、個人消費にも企業業績にも、大きな崩れは見えていない。市場では来年以降も好調な経済環境は持続するとの見方が大半で、株式見通しも楽観論が支配的である。但し、住宅市況の影響が軽微だと最終確認できるにはもう少し時間がかかると見るべきだろう。

既に報じたように、住宅市況の悪化が他産業へ波及したり個人消費を抑制させたりする悪影響は観察できていない。最近の経済統計は強弱入り乱れる斑色ではあるが、市場はその踊り場の向こうにSoft Landingへの風景を描いている。だがそこには緩やかながらもリスク要因が頭を擡げつつある。その一つはSub Prime Lendingの破綻の増加である。米国では、今月Mortgage業者が2社破産、来年以降も経営破綻の増加を予想する声が強まっている。

信用力の低い借り手への住宅ローンの急増は、そうしたローンを担保としたABS市場を刺激して、本年は約5,000億ドルが発行された。それらの債券は、Sub Prime Lendingのデフォルト増加を背景として格下げ連発の状況に直面している。FT紙に拠れば、Fitchは10月以降既に100銘柄以上の格下げを行っているようだ。同社は、特に2006年下半期以降のSub Primeを取り巻く環境の悪化は顕著であると警告している。

先般、消費団体であるCenter for Responsible Lendingは、過去2年間に行われたSub primeベースの貸出の約20%が破綻するだろうとの極めて暗い調査結果を公表した。これはあまりに悲観的だとの批判も出ており、また順風過ぎたMortgage Businessのほんの一部が崩れているに過ぎないとの見方もある。最近のMortgage業者の破綻も、競争激化による低金利という失策が主因と見ることも出来るかもしれない。

だが金融市場の動揺が強い伝播力を持つことを忘れてはなるまい。FRBや金融業界は、住宅市況が限定分野での悪化に止まると期待しているが、市場には抗生物質など存在しないのである。特にSub Prime市場は一種の新興市場でもあり、その影響がどう波及するのか見極めにくいという不透明さもある。市場の多数意見が真実を裏書しないことが多いのは、市場の「感染経路」が予測不能であるからでもある。2007年の米国にはやはり相応の警戒感が必要となるだろう。』(再掲)

◆ 2007年の小爆発

さて明けて2007年、米国長期金利の上昇を契機として、懸念されていたSub Prime Loanにおける支払い遅延や担保権行使などが急増、これらのローンを原資産としていたRMBSが値崩れを起こし、それらをプールしていたCDOも溶解していった。だが、ここで上記2本のコメントに「先見の明」があった、と言いたい訳ではない。

Sub Primeは、数ある予想リスクの中の一つに過ぎなかった。筆者が編集する「世界潮流」では、米国住宅市況以外のリスク要因として、中国経済腰折れ、中国発のインフレ、為替市場での円急騰、日本の利上げ、大型M&Aの資金調達困難化、穀物価格急騰、Fundへの過剰規制といった材料を波乱候補として挙げて来た。

その中の一つが弾けた訳だが、正直に言えば、年初にある雑誌社の取材に応えて作ったその重要度ランキングの首位は、サブプライム問題ではなかった。米国住宅問題は、証券化市場への波及よりも個人消費減退リスクへの警戒信号であった。だが現在、その「感染経路」は予想を越えて、症状はLBO市場にも伝染し、金融機関経営への不安にまで及んでいる。

だが、金融リテラシーの低い投資家ならともかく、金融の名だたるプロがこのような乱流に巻き込まれるというのは腑に落ちない、と感じる人も少なくないだろう。Bear Stearnsのファンドなり、Basis CapitalのYield Fundなり、その大胆なる(蛮勇なる?)運用に信用供与を行っていたのはJP MorganやGoldman、Merrill Lynchなど殆どすべての大手欧米金融機関であったからだ。

担保を取れば問題ない、というのが金融の伝統的な考え方だが、その担保に時価が無くなれば焦げ付くというのは、邦銀の不動産担保融資と変わらない。彼等にはもはや邦銀を笑う資格などない、と言っても差し支えない。まあ目糞鼻糞の話はさておき、こうした事故が繰り返すのも、振幅し浮沈する資本主義システムの中では一つの宿命と割り切るべきなのだろうか。

不作為の罪が金融ビジネスに特有でないことは明らかだが、リスクの無いところに超過リターンの無い金融においては、特にその功罪は明らかである、従って、利益機会のあるところにプロが首を突っ込むのは当たり前だ。不作為の罪を問われなかったのは護送船団時代の邦銀であるが、それも今は昔の物語である(と思いたい)。

Sub Prime Lendingも、それを証券化するビジネスも、それに投資するファンド運用も、そしてそこに信用供与するのも、すべて「美味しい」商売だと判断されるなら、誰でも参入したいと思うだろう。そして、その結果がこれである。利益機会を追いかけるのが仕事である以上、どうしようもないではないか、と愚痴の一つでもこぼしたくなるのも解る。だが傍目八目で眺めてみれば、幾つかの点でビジネス判断に基本的な間違いがあったのは明らかだ。

◆ 金融のアマチュア化

金融事象の変化には、循環的なものと構造的なものがある。株価の変動も、為替レートの変化も、ただその動きだけを見ていては、それが景気循環によるものなのか、構造変化によるものなのかは解らない。地震と同じで、どこのプレート位相がどのようにマグマを刺激しているのかを観察する必要がある。地震発生の正確な予知ではなくその原因解明を徹底するのがプロの仕事である。

最近の日本円に関する為替レートが、構造的な変化による事象であったことは明らかだろう。それでは米国Sub Prime問題が発生したのは、景気循環なのか構造変化なのか。答えは恐らくその複合である。景気循環的な金利上昇要因もあるが、「貸し手無責任の連鎖」という構造的要因も大きく関連しているからである。その意味では、世界的なリスク・プレミアムの低下というここ数年の一般的現象も、循環的であるとともに構造的(そして明らかに空想的)でもあったと言えよう。

貸し手の無責任という現象は、極めて重大な問題を孕んでいる。日本で話題になった「貸し渋り」「貸し剥し」とは対極にあるこの甘い貸出競争は、貸し手の規律を否定するものであるからだ。誤解を恐れずに言えば、貸し手の本質は「貸し渋り」である。慎重に慎重を重ねた上で貸すのが金貸しビジネスの根源であり、欧米の安易なSub Prime Lendingだけでなく、LBO市場でのCovenants-Lightなどの融資もまた、本来貸し手にあってはならないものである。

その意味で、今回の騒動における「構造問題」とは、巷間よく言われるような「過剰流動性」という表現よりも「欧米金融のアマチュア化」と言った方が適切であるかもしれない。収益機会が掃いて捨てるほど豊富に見える、というのはアマチュアが陥りがちな幻想である。そしてBMA136号で指摘した通り、クレジット新技術への過大評価(というより思い上がり)もこの問題の背後にあるのは間違いない。

日本のサブプライム関連投資は1兆円程度であり、大きな問題ではない、と全銀協会長や金融庁幹部は述べている。確かに高格付けしか購入していない大方の日本勢の評価損はそれほど目立つものではないだろう。イージーな金融と一線を画すという意味では、日本による金融モデルの再構築への期待感もある。

20世紀に欧米追随の帝国主義政策で失敗を重ねたことを思えば、極端な金融資本主義政策に向かう欧米の単なるコピーで再び失敗をして欲しくないものである。10年以上の不良債権危機で学んだ教訓と、今回の米サブプライム問題からの教訓とは、日本の金融が新たなビジネス展開を考えるのに十分過ぎる材料だと言えるのではないか。

2007年08月03日(第152号)