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◆ 逆説的「日本金融先端」論考

◆ 日米比較あれこれ

あらためていうまでも無いが、米国のサブプライム問題は現象面こそ違うものの本質的には日本の不良債権問題と同じである。不動産神話、金融緩和、レバレッジ運用という三点セットは、オランダ・英国・米国が作り上げてきた金融バックアップ型の経済成長モデルに内在した、普遍的なメカニズムであったと言うべきだろう。たまたま今回は、カタリストとして機能したに過ぎない「証券化」がバブル性を加速したという意味で、金融技術や資本市場が悪者扱いされることになったのだ。

日本と米国の対比論も目立つようになった。日本では「1990年代の日本を教訓にすべし」という論調が主流であるのに対し、米国では「日本のように対応は遅くない」との反論のもとで、日本経済が回復するまで10年以上必要だったのに対して米国では2-3年で終わる(それでも数年はかかると認めている)という見方が強い。確かにスピード感は違う。

だが、日本の不良債権問題と米国のサブプライム問題とを比較して、何でも日本を卑下するのは間違いである。日本のメディアはそういう分析にあまり熱心ではないが、例えば英国の高級誌であるエコノミスト誌は、米国が「迅速で大胆な利下げ」と自慢しているのは正しくない、と指摘している。

「世界潮流」にも書いたのでやや重複するが、住宅価格がピークを打った時点からの利下げ速度は日本の方が1年ほど早く、その後の下げ幅でも日本は2年間で6.0%から1.75%まで下げている。米国の下げ幅は同期間で5.25%から2.0%までとなっている。

また同誌は「日本の住宅バブルの方が深刻だった」とする米国側の認識も不正確だと批判している。日本において1985-1991年の7年間に住宅価格の上昇率は51%を記録したが、米国では2000-2006年の7年間で90%の上昇率となっている。そしてバブル崩壊後、日本全国の住宅価格は40%以上下落したが、米国での下落率は漸く20%を超えたあたりである。米国で、更に10%以上の下落が予想されているのも根拠が無いわけではない。住宅だけでなく、商業用不動産も同じである。

日本では当時、不動産と同時に株価のバブルも発生していた。その点は確かに米国とは違う。米国ではITバブルの後遺症もあり株価は低空飛行を続けていたからである。だが、全国民の半分以上が株への投資を行う米国と、30%に満たない日本とでは国民経済への影響度が大きく異なる。つまり日本の株式ショックは不動産ショックに比べればそれほど大きな悪材料にはなっておらず、日本の方が悲惨なのだ、という米国流の断定は正しくない。

勿論、銀行による増資への対応や、ベアスターンズ救済及びファニーメイ・フレディーマックへの公的資金投入体制などに見られる政府の対応において、素早さという点では日本は遠く及ばない。だが、貯蓄率の低さや財政出動の限界、さらには同盟国ではない海外諸国に依存せざるを得ない資本構造など、米国は日本に大きく劣後した脆弱さをも持ち合わせている。「我々が(あの優柔不断な)日本のような過ちを繰り返すはずが無い」という傲慢さもまた、米国の致命的死角になる可能性が高い。

◆ もう一つの盲点

さてもう一つ、日米の対比で見て留意すべきことがある。「三点セット金融」の躓きがまず日本で起きたという事実である。日本の場合は完全に商業銀行バブルであり、米国の場合はそれに投資銀行バブルが加味されたものであった、という違いも大きいが、その津波がまず日本で発生したことはもっと着目されて良い。ここでも日本は救われていると見なければなるまい。

日本の不良債権は商業銀行が作り出したものであるが、そこには当然ながら「三点セット」以外の複合要因も作用している。日本で直接金融が進まなかったために、金融ビジネスが間接金融をコアにして拡大せざるを得なかったのはその一つである。米国ではビジネスの間口が広かったために、そうしたマグマの積み上がりに時間を要したのであろう。日本は、融資という一点に圧力がかかったのである。

また、手数料商売の難しさという点も挙げられるだろう。金融ビジネスは「手数料への展開が必要だ」と迫られてきたが、金融に関する手数料支払いを嫌がる社会風土において、この格付け会社やアナリストの説教は無責任であった。余談だが、情報料すら払いたくないと言って、弊誌のような有料情報も大量の無断コピーが出回るのが日本の環境なのである。手数料が稼げなければ、やはり融資しかない。

こうして融資に拍車がかかるが、優良案件には限度もある。国民経済規模を大幅に逸脱するような融資規模が健全であるはずもない(これは米国のCDOも同じ理屈だ)。必然的に、利用価値のない不動産に虚構的交換価値を与えて実行された融資は破綻することになった。

その修復には多大なコストと時間がかかったが、もしこの破綻タイミングが今回の米国と同じであったら、と考えるとぞっとする。あの不良債権問題が顕現化しなければ、邦銀はさらにCDO投資へとのめり込んでいただろう。金融システムは、不動産とCDOという途方もないダブルパンチに見舞われていた筈だ。経済のカンフル剤としての中国やインドなどの新興国経済はいまや腰砕けであり、2003年当時のような神風は期待できなかっただろう。

日本の不良債権処理は必然であったが故に、それが1990年代に露呈して処理されたことの金融史的な意味は大きい。直接金融の遅れや手数料ビジネスの欠乏など、脆弱だと指摘されてきた金融構造が逆に傷を深めずに済んだと解釈できるとするならば、日本の「アングロ・アメリカン金融」への適応力の無さはむしろ日本経済にとってプラスに作用しているのではないか、と思ったりする。或いは、日本の金融は気付かないままに世界の先端を走っている(!)のかもしれない。

◆ 他にもある日本のメリット

日本の金融が「先頭を行く」姿は、想像すらできないという人も多いだろう。10年遅れ、周回遅れ、といった日本の金融に対する社会評価は内外で定着している。筆者も本音ではそう思っているが、それは飽くまで「アングロ・アメリカン金融」の土俵を前提にした認識である。仮に欧米金融が「間違い」であるとすれば、その判断座標が消滅するのは当然だろう。

色眼鏡を捨てて幾つかの現象を見てみよう。まず日銀のゼロ金利だ。これは異常事態として導入されたが、「ゼロ近似金利」は未だに継続しており、そこから脱出する気配はない。むしろ米国の金利は日本の水準へと擦り寄っている。今後のインフレ・景気動向次第で、米国がゼロ金利へと接近する可能性もあろう。ユーロ圏も例外ではない。ひょっとしてゼロ金利は、21世紀のトレンドになるかもしれない。

昨年の株安は、より鮮明に日本の「先取り感覚」を象徴している。2007年の株式市場で注目を集めたのは、サブプライムで立ち往生した欧米市場や爆発的な高騰を示した新興国市場ではなく、世界のブービー賞となった日本の体たらくであった。だが、それはまさに2008年の世界市場を予感させるものであったのだ。

そして、金融モデルではいち早く大和証券や日興證券などの大手証券会社が危機感を表明して商業銀行とのタイアップを模索した。日興證券は結果論として見れば相手を間違えた感もあるが、商業銀行の資本力を拠り所と考えた点においては正しい選択であった。いま米国では、投資銀行が商業銀行に飲み込まれる運命を辿ろうとしている。これも日本が「先取り」している。

投資家による株式離れも日本が群を抜いて早い。銀行預金へと流れる資金循環は、欧米でも今後主流になるかもしれない。金融や事業法人のバランスシート強化も、日本が断然先を歩んでいる。

この論理に違和感を覚える人も多かろうが、筆者の主旨は「視座を何処に置くかで風景は大きく変わるものだ」ということだ。別に日本が先頭を走っていると本気で主張する気はない。ただ、見慣れた風景とは違うイメージを意識することで、違う金融スタイルを帰納することも出来そうな気がしている。金融とは仲介である、というのが筆者の哲学であるが、そこを拡張した金融モデルは日本の風土と全く違和感がないようにも思う。

2008年09月19日(第179号)
 
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