HOME > 2009

◆ 公的資金注入の限界

◆ 欧米金融支援の失敗

 金融危機対応とは難しいものである。特に、1990年代の日本の不良債権時代に迅速で効率的な公的介入を強く求めた米国当局者や経済学者らは、その念を強くしていることだろう。日本より素早く行動したと自画自賛する向きもあったが、結果的にその危機対策は危機規模に比べて「拙速」「稚拙」と言われても仕方がない無残な結果に終わった。7,000億ドルの金融安定化法(TARP)に関して、米議会は民間金融への融資増に殆ど寄与しない「失敗策」だった、と総括している。

 その敗戦はポールソン財務長官の判断の拙さに起因するところが多いのは事実だが、一人の責任だけに原因を集中させるのは事実を歪曲化しかねない。議会もまた金融システムを正確に理解していないからである。FRBもまた適切な判断を貫徹したかどうか、疑問は少なくない。

 また、メディアはさかんに公的資金の使い方を批判するが、金融危機の中で深刻な不況が進行中であるときに、公的資金注入は崩れかかった金融を支えるだけで精一杯であり、不況が加速する中ではとても民間市場への資金供給を増やすような力はないのである。

 7,000億ドルのTARPを不良資産買取ではなく公的資金注入に使ったことが誤った判断だとの批判は、正鵠を射ていない。9月のパニックの際に、最も重要なことは主要な銀行を潰さないことであった。それは、大恐慌の大きな教訓であった筈である。ローズベルトの功績は、ニューディール政策ではなく銀行システム安定化政策によって銀行倒産を食い止めたことである。

 また、TARPの利用対象が銀行から保険会社、Non-Bank、自動車へと拡大し、モラル・ハザードを招いたことも批判されている。確かにその判断が正しいものであったとは思わないが、批判の対象はそんなことよりも、公的資金注入と併行して不良資産の買取りを真剣に検討しなかったことにある。財務省は、買い取り価格設定の難しさなど手続き上の問題から、不良資産買取りを断念して資本注入に舵を切り替えたのだが、その判断は明らかに失敗であった。Bad Assetの切り離しを断念した罪は小さくない。

 それは、不良資産ビジネスの再到来を手ぐすね引いて待っていたディストレス・ファンドの気勢を殺ぎ、市場ムードをぶち壊した、という意味ではない。政府介入が中途半端にしか実行されないことへの失望である。勿論、いい加減な価格設定は「税金の無駄遣い」と「モラル・ハザード」の問題を引き起こす。かといって、それが出来ないから不良資産・不良債権の分離は不可能だ、という言い訳にはならない。イデオロギーより国民生活の方がよほど重要だ。今の米国に共産主義を蔑む資格は無い。

 最優先されるべきはバッド・バンク構想である。これは価格設定が難しいから機能しないと先送りされてきたが、銀行を国有化してしまえば当座の問題はなくなる。米国が国有化に抵抗し続ける限り、システム不安は終息しないだろう。もはや公的資金と損失保証で何とかなる段階は、時計の針を巻き戻せない過去の話だ。

 ◆ さて、日本は

 日本の不良債権時代はまだ記憶に新しい過去である。1990年代、公的資金はどう使われたかといえば、まず特別公的管理(長銀・日債銀)への6兆4,000億円と特別危機管理(足利)への2,500億円など金銭贈与が18兆9,000億円ある。不良債権の買取には、健全行も含めて9兆8,000億円が投入された。そして資本注入は12兆4,000億円、その他瑕疵担保契約に基づく買取や貸付などが6兆円あった。投入合計額は、約47兆円である。預金保険機能に拠れば、このうち昨年9月末までに25.1兆円が返済されており、贈与分を除けば残るは約3兆円である。

 不良債権時代は終焉したといわれるが、それでもまだ「りそな」などの銀行に数兆円の公的資金が投じられたままである。いかに現代の金融危機が厳しいものであるか、容易に理解できるだろう。数兆ドルの公的資金が必要だと囁かれる米国金融が、数年で公的資金を完済できると考えているとすれば、おそらくその読みは甘いだろう。英国やドイツ、フランスなどは、さらに本格的な銀行国有化へと向かうことだろう。

 もっとも日本は他国のことを安穏と眺めている状況にはない。政府は金融機能強化法を改正し、申請期限を平成24年3月までとした。1月に札幌北洋と南日本が、2月に入って福邦がこの制度の下での公的資金を申請する姿勢だと報じられ、日本は第一期の公的資金が完済されぬまま、第二期公的資金時代を迎えようとしている。

 今回は申請を容易にするために、経営責任を問わないなどモラル・ハザード一直線の甘い措置が取られている。これもまた中途半端な公的資金の利用を招きかねないが、運用上やむを得ないとの見方もある。そこで水掛論をやるよりも、まだ不良債権買取制度の復活議論を行った方が有益だ。この経済危機による金融不安を欧米並みに波及させない為には、公的資金と不良債権買取をパッケージで行うべきだろう。

 もっと有効なのは、以前どこかでも指摘したことがあるが、強制的国有化である。強烈な不況のもとでの銀行への資本注入はあまり役に立たない。それが現在欧米市場で観察されている厳然たる事実である。ある米銀経営者はおおっぴらに「公的資金は融資ではなく資本増強と将来のM&Aに当てる」と語っている。それが世界中の銀行家の本音だろう。

 目先の資金供給不足を解決するのが目的ならば、そうしたロジックで運営される銀行システムに貴重な公的資金を投入すべきではない。軽薄な民営化構想で貴重な公的金融機能を喪失してしまったいま、国有化によって政府や国民が望む資金循環を作り出すしかない。

 私見を言えば、一部の大手を含む幾つかの銀行は国有化すべきだろう。その上で、グッド・バンクとバッド・バンクを切り離し、後者は公的資金で塩漬けにする。それ以外の銀行に対しては不良債権買取制度を適用し、その制度活用を条件として普通株として公的資金注入を受容する。それが1990年代の学習効果というものではないだろうか。

2009年2月6日(第188号)