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◆ ある年金セミナーで

先日、クライテリアが発行している年金情報誌「オル・イン」が主催する企業年金担当者を対象としたセミナーにおいて、JPモルガンの北野一氏と対談した。何人かの友人から対談内容を教えて欲しいという声が寄せられたので、同社の承諾を頂いて、私の発言部分に限定して簡単に抜粋したものを本誌に転載する。

ただ、北野氏の話も面白かったので、同社のホームページ(URLは下記)から会員登録(無料)してPDFをダウンロードし、全体の対談内容を鳥瞰されることをお勧めしたい。

http://www.criteria.co.jp/publish/al_in/tokyo_seminar_090305.html

(このサイトから「オル・イン・メンバーズ・サイト」に登録してダウンロード)

私の発言は「デイリー」や「世界潮流アップデート」に書いていることの反復が多いが、本誌の読者には未読部分もあろうかと思う。以下がその要旨である。

今回の大混乱の見方として「100年に一度の経済危機」というのはひとつの側面ではあるが、現在の米国を見るうえではもう2点の材料がある。ひとつは建国以来のイデオロギー的な転換。2点目は、600年ぐらいの資本市場の歴史の中であったいくつかの転換点だということ。国際金融センターは、ジェノバ、アムステルダム、ロンドンと変遷を遂げてきたが、現在はニューヨークの地位が揺さぶられている。「外国=米国」という見方を捨てて、米国に対する見方は修正していく必要がある。歴史的に見ても資本の蓄積のない国がずっと世界の中心でいるのは難しい。投資の観点では、「米国=AAA」という図式も早晩崩れるだろう。

現在、金融はすべて悪者のようにいわれているが、金融が経済に対してもつ「浮力」を社会が軽視している面がある。浮力がなければ経済は成長しない。それをすべて排除してしまったことが、今回の異常な需要縮小の原因だ。だからこそ金融の修復は重要なのだが、それが長期化すると異常事態から脱するのに時間がかかる。以前の日本のような先送りが米国でも再現される可能性は高い。「マーケットは民間が担う」という思想は尊重されるべきだが、それでは解決できるものもできなくなってしまう。いずれ金融問題は日本にも波及し、再び銀行に公的資金を入れなければならない局面が今年の後半から来年かけて出てくる。世界ではしばらく民間と公的な役割が混在した時代が続く。

中国に関しては2つの波乱要因がある。ひとつは、米国に対する中国の立場が日本とはかなり違うということ。米国にとって日本は「安定株主」である半面、中国は「敵対的株主」に近い。中国は基本的に日本を反面教師にしている部分がある。レーガン政権時代に、日本は多くのものを米国に貢いだが、日本が米国のためにとった政策から利益が得られたのかは疑わしい。おそらく中国は日本の轍を踏まない。もう1点は、中国の複雑性。内需拡大で中国経済が大きくなることは、日本にとってもプラス要因だが、一方で日本の10倍を超える人口を抱えるなどとてつもない複雑性を持つ。中国の安定がどこまで続くのかには未知数。これは世界史的に見ても大きな実験。

基軸通貨と為替レートは直接関係ない。基軸通貨の座が英国ポンドからドルに移行したときも、英国の経済力が落ちたから、あるいはポンドが急落したから、基軸通貨が急にドルに変わったわけではない。基軸通貨はいわば世界中に張り巡らされた血管のような存在であり、いきなり他のものに取って代わるということは考えにくい。ただ長期的には、徐々に米国の所得収支は赤字になり、ドルの絶対価値に動揺が起きる。そもそも基軸通貨という考え方自体が風化していくのではないか。ユーロは貿易通貨としても資本通貨としてもドルに引けを取らない存在で、円ですらそれなりの役割を果たしている。中国とロシアが貿易をする際に、別にドルを使う必要もない。そもそもグローバリゼーションと特定国通貨の基軸性は矛盾を抱えている。 

輸出が急減して貿易赤字に転落したことで、景気敏感な成長構造をもつ日本の脆さがクローズアップされているが、日本はもはや輸出立国ではない。製造業はここ数年、生産していれば消費が追いついてくるというセーの法則に囚われていた。金融だけでなく製造業でもバブル的な要素が若干あった。それが今の厳しい生産調整に現れている。日本の製造業の生産調整は速く、企業の環境対応力でみるとまだまだ捨てたものではないが、米国や欧州と同じように日本の銀行も金融仲介機能を果たしていないため、明るい経済回復は望めない。金融行政対応も遅く、企業金融は放置されたままだ。

年金基金は運用がテーマだが、それだけではない。金融は運用と調達を結ぶ力学であるが、いまその力学の場を担ってきた銀行が機能不全を起こしている。お金をもっている人たちが何らかのアクションを起こさないと、金融は凍死してしまう。年金基金運用も、経済成長の回復を待っているだけではダメ。年金も「資金」をいかに「資本化」するかを考える必要がある。今の状態は、「資本」が「資金」に逆流している状況で、完全に経済収縮のパターンだ。どのセクターが有望なのかを検討すると同時に、どうしたら自分たちのお金が社会に行き渡り、その結果としてどういうリターンが出てくるのかという、コペルニクス的転回も必要だ。 (以上)

2009年5月1日(第194号)