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◆ ネガティブ金利の現実性

◆ マンキュー教授の提案

4月24日号の「世界潮流アップデート」に「ネガティブ金利は成功するか」という一文を掲載した。それはハーバード大学のグレッグ・マンキュー教授がNYタイムズ紙に寄稿した小論を引き合いに出して、その理論と現実のギャップについて言及したものである。かいつまんでいえば、以下のような話である。

お金とは財やサービスと違って価値が下がらないからこそお金に成り得たとも言えるが、19世紀末、ドイツの経済学者シルヴィオ・ゲゼルは、社会問題の病巣はマルクスが示したような資本主義の搾取ではなく貨幣制度の欠陥にあると見て、その「権力」を無力化すること、つまり他の商品と同様に減価する「自由貨幣」を考案した。だが非現実的なそのアイデアは陽の目を見ることも無く、ゲゼル自身も忘れられた経済学者として生涯を終えることとなった。

20世紀になってスイスは一時マイナス金利を導入したが、それは例外的な措置であり一般的な中銀の金融政策は「プラスの金利」の世界に限定されている。つまり「マイナス金利」は想像上の世界に過ぎない。だが、現在の主要各国の政策金利はほぼゼロに張り付いたまま、金融政策は非伝統的手段の多様化に向かっている。その多くは成功の保証も無く、その幾つかは超インフレを呼び込む危険性さえ胚胎している。金融当局にとって、より有効な手段は無いのだろうか。

マンキュー教授は、ゲゼルの革命的な考え方に、現代経済の脱出の可能性を読み取ろうとしている。FRBをはじめ各国中銀は既に様々な手法で経済への浮力を回復させようとしているが、効果は見えず危険だけが増大している。同教授は、FRBは発想を転換してマイナス金利政策を検討してみてはどうか、と提案しているのである。因みに、同教授は教え子が思いついた斬新なアイデアがそのヒントになった、と述べている。

マイナス金利であれば誰もがお金を借りて消費しようとするが、問題はマイナス金利では誰も貸さないということである。従ってFRBが政策金利をマイナス3%にしても、問題は解決しないどころか、資金循環が停止して経済は凍死する。だが1年後に貨幣価値が間違いなく10%下がると皆が確信すれば、マイナス3%は突如として魅力的な金利になる。銀行もマイナス3%での融資に積極的になり、消費者もマイナス3%で自動車や住宅を買うことになるだろう。

マンキュー教授の教え子のアイデアとは、1年後にFRBが紙幣の通し番号で0から9までの数字のうち一つを法的に無効な通貨と決めれば1年後の期待インフレ率は確実にマイナス10%になる、というものであったらしい。それを現実論に置き換えれば、FRBによるインフレ・ターゲット、つまり通貨価値の減価である。インフレ10%という確約の下で金利をマイナス3%に置けば、経済は刺激されるのではないかと教授は語る。さてこれは現実に可能だろうか。

◆ バイター教授の処方箋

マンキュー教授の寄稿を読んだ時、思考実験としては面白いが現実策としては不可能という印象を持った。金利がマイナスということは、ゲゼルの「自由貨幣」のようにおカネが生鮮食品のように腐っていくことに他ならない。預金が毎日目減りするのである。防御策として、皆が一斉に現金を銀行から引き出して箪笥に仕舞い込むことだろう。

その数日後、FRB内部で、テイラー・ルールを用いれば米国の金融政策はマイナス5%程度が適切だという文書が出回った、という話がFT紙に紹介されていた。テイラー・ルールは周知の通り、物価上昇率が長期的目標からどの程度乖離しているか、需給ギャップがどの程度均衡から乖離しているか、に応じて政策金利を決定していく手法である。現行のデフレ気味の物価水準や失業率などを勘案すれば、ゼロ金利で十分でなく、マイナス金利が必要だ、というわけだ。だが現実策としてFRBがマイナス金利を導入する筈も無い。

それに対して、LSEのウィレム・バイター教授は5月7日に「マイナス金利の導入は可能だ」という小論を発表した。そんな簡単に行くかいな、と思いながら読んでみると、いきなり「現金を廃止すれば良いのだ」という教授独特の痛烈なパンチを浴びて思わずうろたえてしまった。

バイター教授は、現金が存在する限りマイナス金利は導入できないとの認識から、マイナス金利ではなく現金を諦めればよいという逆転の発想を抱く。細かな決済用の小額コインだけを残して紙幣はすべて廃止し預金口座を通じて決済する「E-Money社会」になれば、脱税やマネロンなどの反社会的行為も急減するだろう、と教授は述べる。他に不利益を被る者がいるとすれば、通貨発行益を計上できなくなる中銀くらいなものだ。

他にも選択肢はある。上記のゲゼルの「自由貨幣」がそれだ。彼の発想は「減価する紙幣」に対して所有者が一定の切手を貼ることでそのネガティブ金利を支払うというアイデアである。原理的には可能だが、実務的にはアドミ・コストが大変そうだ、とバイター教授は診断する。

それに代替する三つ目の案として、バイター教授は「新紙幣導入(Rallod Currency)」を提案している。この新紙幣は現存通貨との交換性は政府または市場取引によって担保されるが、実質的に実体経済の交換比率社会からは切り離された存在として流通する。

ちなみにこの「Rallod」という言葉、何なのだろうと一日頭をひねってしまった。辞書にはない。ラテン語でもない。よく見れば、何のことは無い、Dollarのスペルを逆さにした言葉であった。

それはさておき、つまりこの案は、紙幣がある限りネガティブ金利は成立しないという事実を前提に、「ゼロ金利社会としての紙幣」と「ネガティブ金利社会としての実体経済」を分離しようという考えである。従って、現通貨は預金などの形で存在し続け、いわば「準備通貨」として機能することになり、紙幣は新通貨として流通市場にのみ現れる。

この制度では、国内に二つの貨幣が並存することになる。一方はゼロ金利紙幣として交換社会で流通し、もう一方は税金支払いや資本取引として預金勘定を通じてのみ利用される。実態社会は後者のマイナス金利によって運営される。中銀の政策も、もちろんこちらの貨幣を対象とすることになる。

二つの貨幣の関係式は外国為替レートの金利裁定原理に近く、例えば新紙幣はゼロ金利、旧通貨はマイナス5%という裁定関係からスポット価格とフォワード価格がそれぞれ決定される。つまり新紙幣価値は将来的にディスカウントされるので、旧通貨が一斉に新紙幣に転換されることはない。

さてこれもまた頭の体操である。筆者もまだ解らぬところが多い。バイター教授はこの転換は週末の事務作業だけで可能だと述べるが、頭の切り替えにはかなり時間がかかりそうだ。同教授はこの説を、元ドイツ連銀理事でECBの首席エコノミストを務めたオットマー・イッシング氏の前でも披露したらしいが、超金融エキスパートの同氏を確信させるには至らなかった、と述べている。

各国中銀のデフレ対応策はこれからが本番かもしれない。バーナンキ議長は「Green Shoot」なる言葉を連発して「年内に景気回復」と財務省の片棒を担ぐような発言でその地獄から逃れようとしているが、そうは問屋がおろすまい。今週発表された小売売上高は、先行きの重さを感じさせている。

FRBも長期国債購入やTALF拡大で済まなくなり、いつかマイナス金利を検討せざるを得ない局面に追い込まれる日が来ないとは限らない。それは次期議長の仕事になるのかもしれないが、思考実験はそれなりに意義があるだろう。日銀も考えてみてはどうだろう。  

2009年5月15日(第195号)