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◆ 金兌換停止は正しかったか

◆ 8月15日を前にして

また古い話か、とそっぽを向かないで頂きたい。昔話は老人の悪い癖だが、筆者はまだ老人でもないし、この1971年の物語も実務的体験談ではない。にもかかわらず、敢えてこの8月15日の「第二の敗戦記念日」を題材に持ってきたのは、あのニクソン声明の意味を再吟味する必要を、いまほど感じたことがないからだ。

説明するまでもなく、ニクソン・ショックとは金兌換の停止である。よく変動相場制への移行と勘違いする人もいるが、それは1973年であって、通貨制度の変革という現象としては似ているが、異なるものである。金本位制は1816年に英国が導入し、1971年のニクソン声明を以って終わるのだ。

国際金融のテキストでは、1930年代に事実上金本位制は崩れていた、と解説される。そしてその「黄金時代」は1914年まで、というのが定説である。もっと具体的には、古典的な国際金本位制は「1880-1914年」という35年間だと言われる。もっとも、その裏側では銀本位制への復活を目論む様々な勢力が跋扈していた、というのが真相である。金本位制は言葉のイメージほどに堅牢なシステムではなかった。

そして戦後のブレトン・ウッズ体制は金・ドル本位制とも言われるように、ドルだけが金との兌換を約束された変則的な金本位制であり、本来の金本位制との連続性は途絶えている、という見方が主流である。但し、それは第二次大戦を経て世界中の金の75%が米国に集中していたという事実を再確認する制度に過ぎず、金本位制の意味をなんら失うものではない、という考え方もある。確かに、円もポンドもマルクも、みなドルを通じて金との兌換が可能であったことを考えれば、ブレトン・ウッズ体制もまたれっきとした金本位制であったのである。

学説の主流・傍流に関係なく、実務的な目でみれば、1971年までは金本位制であった、と考えてよいだろう。最後まで金に拘ったのはゴールドならぬ「ド・ゴール」だったというのは駄洒落みたいな真実もある。おそらく金融市場も、金とのリンクのない通貨など想像したくもない、というのが本音であっただろう。そのリンクをばっさりと捨てたのがニクソン大統領である。

当時、8月15日の声明の意味を正確に理解していた人が日本にどれほどいたのか、解らない。当時の新聞記事の中にも、ニクソン声明の内容として「輸入課徴金」の方を最初のヘッドラインに使っているものがある。それほど唐突だったのかもしれないが、IMFはその2年前にSDRの導入を決めている。日々、金が流出していくのを眼前にした米国による金兌換停止は、周到にとは言えないまでも、ある程度予定されていたシナリオであった筈である。こうして弾力的な金融政策の余地を得た米国は、徐々に金本位制を諦めたことによる効果を、想定外の利益も含めて再評価するようになる。

◆ デフレ脱出とデフレ懸念

金本位制はデフレをもたらし、信用通貨をベースとする管理通貨体制がその呪縛を解き放った、というのが金融の常識論として定着している。当たり前の話だが、通貨量がメタリズムによって抑制されてしまえば、デフレを回避するのは難しい。インフレを一つの成長要素として捉えた現代社会は、金兌換停止を大きな貢献だと位置づけている。だが、それが当初から確信的なものであったとは言い難い。

ニクソン声明は「止むに止まれぬ決断」であった。だから「ニクソン・ショック」なのである。金とのリンクを外したくなかったが、現実問題として外さざるを得なかったと見るのが自然であろう。つまり1971年に「信用貨幣の方が経済のためになる」と積極的に金本位制を放棄したとは思えないのである。

その後、変動相場制に移行した国際経済は、ニクソン声明が「結果オーライ」であることに気付いたに過ぎない。金の呪縛こそが潜在成長力の実現を束縛していたのだがこれは一種の後知恵なのだ。通貨発行の自由度がインフレを呼ぶとの懸念は、石油ショックで現実味を帯びたものの、米国のボルカー流引き締めの成果もあって、1980年代以降は見事な「ディス・インフレ」時代の到来を迎えることになった。

信用通貨制度においてもインフレが抑制されるなら、通貨は刷るべし、である。この確信があったからこそ、FRBは危機のたびに流動性を大量に供給し、国際金融危機をすべて乗り切ってきた。そして緩和気味の金融政策が定着することによって、最終的には未曾有の住宅バブルと信用バブル、投資銀行バブルなどを生んだのである。その通貨的起点を探るとなれば、やはりニクソン声明における金兌換停止を挙げるべきではないだろうか。

「金本位制=デフレ」、「信用通貨=インフレ」というのは正しいだろうか、という別の疑問も残る。金本位制でも、金が大量に発見されれば通貨価値は低下してインフレを起こす。1849年のカリフォルニア大金鉱の発見はその一例である。それより以前、16世紀の銀本位制のもとでは、ポトシ銀山発見で欧州にいわゆる「価格革命」が起きて物価は4倍にも跳ね上がっている。

一方、信用通貨のもとでも日本は厳しいデフレを経験した。米国や欧州、或いは中国などが今後デフレに悩まされる可能性がないとは断定できない。供給過多の状態では、通貨量を増やしてもデフレに陥ることは否定できない。

現代社会は、金本位制が経済を縮小させたとして、信用貨幣のシステムの方が経済に好意的である、と盲目的に信じている。だがこの貨幣制度が破滅的なバブルの温床となったことも事実である。ニクソン・ショックを「忌まわしい過去からの訣別」と見ることは、1945年の敗戦記念日を境目にしてそれ以前を全面否定し、戦後社会を単純に礼賛する教育に等しい危険な信仰である。

1971年の敗戦記念日は、ダイエット手法の「使用前」「使用後」の境目のようなものではない。いま必要なのは、金本位制に帰ることではなく、そのコントロール法を取り戻すことである。大胆なまでに拡張したFRBのバランス・シートは、政治的制約で縮小が難しいだろう。日銀は「FRB教」からの別離を宣言することが出来るだろうか。

2009年8月7日(第201号)