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◆ 銀行経営者による危機保険

◆ 他人のカネで商売する業界

経営難に陥った銀行を救済するのは、銀行経営者や銀行員のためでなく、勿論その株主のためでもなく、利用者(預金者や借入れ企業)を保護するためである、というのが常套句となっている。日本でも欧米でもこのお題目の前に、巨額の公的資金(税金)が投じられてきた。だが少数の例外を除けば、経営者は居座り、銀行員の給与は世間の平均を上回った水準で保たれ、株主も救われる一方で、企業破綻が続出して失業者は増加するのだ。

この理不尽は、勧善懲悪のテレビ番組のような大団円を描くことなく、いつまでも続くように思える。各国では金融規制を強化する方向で議論しているが、欧米の大手金融機関では既に高額のボーナス支給が復活しており、公的資金や会計ルールの強引な変更で救われたことなどもはや忘却の彼方である。もっとも金融市場はそうした「原状復帰」を歓迎するかのような仕振りを見せており、ともに喉元過ぎれば、の感が強い。

所詮は「他人のカネで仕事をする業界」なのである。それは銀行に限らず、証券会社も保険会社も運用会社もみな同じである。バランス・シートを扱う業者が悉く「他人マネー」の世界観に浸ってしまったことが、こうした倫理観の乏しさの土壌となったのだろう。近代以降発展した金融業が、そもそも他人のカネを扱う仕事だったのだから、それは当然のことかもしれないが、バランス・シートの利用は必ずしもそうではない。

メディチ家やフッガー家など金融業の黎明期に輝いた人々は、商業で富を築き、その資金で金融業を開拓したのである。ロスチャイルド家も、商業銀行と投資銀行の顔を使い分けたが、前者においては本来的な意味での自己資本を使った。リスク管理の真髄は、数理モデルではなく自己責任なのである。

その意味で戦後、投資銀行モデルを築いてきたゴールドマンはパートナーシップ制度によってその倫理性を保ってきたとも言えるだろう。自社の利益は自分達の利益だが、同時に損失は自分達の損である。「表なら私の勝ち、裏なら私の負け」という資本主義モデルに対してケチを付ける人はいないだろう。

だが1999年5月の株式公開以降、ゴールドマンは変貌したように外野席からは見えた。内部の友人に話を聞いたら、全くその通りという返事が返ってきた。当時公開したのは全株の15%に過ぎないが、100%パートナーシップの時代とは明らかに資本構造が変わり、経営環境も変化した。それは収益偏重への転換と同時に資本調達の外部依存という変革でもある。

そしてゴールドマンだけでなく金融業界一般に「他人マネーで仕事をするビジネス」が巨大化し、それがいつのまにか「表なら私の勝ち、裏なら貴方の負け」というゲームを金融業界に定着させていく。

◆ 危機保険の必要性

いま、投資銀行も商業銀行も自己資本の増強を迫られている。日本では「抵抗」する声も聞こえるが、バランス・シートの毀損を自己資本で埋めるしかない先進国の銀行が、低成長時代を前にして資本を事前に積むことの重要性は過小評価されるべきでない。それを再び公的資金で、というのは甘え以外の何物でもない。

英ブラウン首相が提唱した「トービン税」も、金融界が自前で救済基金を設定するには悪くない発想である。だが金融界だけでなくガイトナー米財務長官やIMFのストラウス・カーン専務理事らはこの案を葬ろうと躍起になっている。要するに、身を切ってまで社会に尽くそうとする気構えが無いのだ。

昨年も一つの対策としてCapital Insuranceの発想が浮上し、景気拡大期に銀行が保険料を支払って第三者から増資オプションを購入するアイデアが検討された。景気後退時、貸し倒れなどが発生すればそのオプションを行使するというやり方だ。だがそれは「二度と銀行危機を起こさない」という目的への直接的な施策にはならない。

ETH ZurichのHans Gersbach教授は、銀行経営者にその増資オプションの一部を引き受けさせるべきだ、と主張している。彼等に支払われる高額な報酬の一部は、その保険料(或いはオプション料)だと見做せば良い。経営者らは、相応の報酬を受け取る代わりに、貸し倒れや評価損の拡大で欠損した自己資本を埋める為、自らの懐から「穴埋め資金」を拠出するのである。これも一つの考え方だ。

同教授は、保険の概念は自己資本の維持の点で有効だが、それは危機回避の十分条件にならないと指摘している。銀行にとって保険料の支払いは収益減少要因となる。同じプレミアムを支払うなら、リスク・テイクへのオプションを買う方が彼等にとっては潜在的なプラスとなるからだ。

従って、経営者に増資オプションを引受けさせることにより、リスク・テイクを自省させるのが一番である。これは1999年以前のゴールドマンのパートナーシップ制に近似するものとなるだろう。裏が出れば自分の負けであり、無防備にそんな賭けに挑戦する意欲は消滅することだろう。リスク・テイクは金融機関の飯の種であるが、身の丈にあった適度な、「プロとして誇れるリスク・テイク」こそが、金融機関に望まれる経営手法なのだ。

Gersbach教授は、この制度にはそれ以外にも副次的効果が期待できるだろう、と述べている。まずは経営陣のあいだの共同体意識である。権力抗争によって一分野での極端な事業拡大が起こることは防げるだろう。また経営陣はどこかにシステム・リスクが潜んでいないか、徹底的にチェックを行うことになるだろう。更に、どこまでが自らが耐えられるリスク・テイクなのか、その水準決定への議論も精緻化されることだろう。経営危機において経営陣が自ら相応の増資に応じるならば、増資に応じる第三者投資家も増えるかもしれない。

現時点において、各国の大手金融機関経営者の信用度はお世辞にも高いとは言えない。だがこうした危機保険を内部的に制度化することで、客観情勢は劇的に変化するかもしれないのだ。金融機関は以前の感覚に戻って単純なリスク・テイクを再開するのではなく、今こそ危機回避と信用回復に向けた体感的作業に着手すべきだろう。

2009年11月27日(第209号)