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◆ 現場主義の必要性

◆ アマゾン・キンドル

昨年11月に久原教授に薦められてアマゾンのキンドルを入手してから、通勤時間はこれを使って英語の本を読むことに決めた。最初は英字新聞を読んでいたが、それは仕事時間にPCでも読めるので、書籍に変えたのである。分厚い原書を持つ必要もないので、電車の中では好都合でもある。最初に読んだのは、NYタイムズ紙の記者であるAndrew Ross Sorkinの書いた「Too Big To Fail」で、これは掛け値無しに面白かった。

金融危機を前にした、金融行政と金融業界のまさしく「パニック」、悪く言えば「ドタバタ」を詳細な取材をもとに記述したもので、いわゆる社会科学的な意味合いは殆ど無いが、金融危機がまさに人間ドラマであったことが良く解る「舞台劇」である。難点はといえば、どこかの論者が「Too Long To Read」と嘆いていたように物語が「超長い」ことであるが、あの凄まじい局面の記憶がまだ薄れていない中で読むのに、それほど苦痛はない。

これに味をしめて次に読んだのが、FT紙のGillian Tettの書いた「Fool’s Gold」である。これは主にJPモルガンの商品開発部隊を中心に書いたものだが、やや同社に肩入れし過ぎているために、折角の事実描写の価値が損なわれてしまった感がある。同社の企業モラルやリスク管理が優れていたので生き延びたというトーンは、三菱がリスク嫌いで不良債権が小さかったというニュアンスに似ている。あとで友人から邦訳が出ていると聞いてがっくりもした。

金融危機の話は食傷気味になったので、別の本を購入しようとして、間違ってJPモルガンのダイモン氏を題材にした「Last Man Standing」のボタンを押してしまった。慌ててキャンセルしようとしたが、キンドルでは一度購入した書籍は返品不能であることが解った。原書のコストの1/3くらいなので軽症ではあるが、現物と違って中古転売も出来ない。電子書籍は慣れないと事故も多そうだ。

ダイモン氏が財務長官になったら読むことにしよう、と気を取り直して「Riches Among the Ruins」を購入して読んだ。著者はRobert Smithという、1970年代から新興国を中心に金融取引でヒト財産稼いだ御仁である。国際金融の「インディ・ジョーンズ」と呼ばれるほど、危ない金融世界を渡った人物でもある。企業債権の取立て屋としてトルコ、エルサルバドル、グアテマラ、ベトナム、イラクといった途上国でどう「現地通貨建ての国債」をドル元本に転換したのか、そのスリリングな展開はまさに金融技術の黎明期を思わせる。

1980年代に韓国やインドネシア、アルゼンチン、ベトナムといったエキゾチックな国家ファイナンスに関わった身としては、こうした流動性も透明性もない土壌から金融取引を纏め上げるというプロセスには強い共感を覚えるものだ。違法スレスレ行為や闇世界との接点など現代金融には似つかわしくないところもあるが、取引の初期段階では白黒つかないケースも少なくない。現場の技術とは、教科書からではなくこうした土壌から掘り出されてくるものなのである。

◆ フィールド・ワーク

今回は、キンドルの宣伝をしたかったのではない。勿論この電子書籍が日本語対応になれば、書籍市場は多少回復し紙メディアは一層低落するだろう。本誌の姉妹誌である「世界潮流」は既にデジタル・メディア対応になった。本誌もそのうちデジタル化してみたいものである。

閑話休題。言いたかったのは、金融原点としてのRobert Smith氏の「フィールド・ワーク」の重要性だ。まず印象的なのは、やはり金融取引におけるドルという通貨の強烈な存在感だ。同氏が関わった国々は、そもそも米国大手企業が1960年代から進出していたドル圏地域である。ベトナムやフィリピンなど、アジア諸国も例外ではない。

筆者が現役の1980年代、日本はアジアでなぜ金融ビジネスをフルに展開できないのかという問い掛けを何度も聞いたが、所詮はドル圏であるアジアに邦銀が出掛けていっても、市場調達したドルで日系企業を支援するくらいしか出来なかったのは当然であった。

米国はドルを各国に血管のように張り巡らせたが、その米国といえども、企業が現地で稼いだ富をドルに転換するのは容易でなかった。闇金融でのドル調達などたかがしれている。Smith氏の数々の話の中で印象的だったのは、エルサルバドルでの取引である。

同国内の事業で利益を上げる米企業は、その現地通貨建ての利益をドル転換する術がない。エルサルバドルには交換に応じるドルが少なく通貨の交換性が乏しいからだ。同企業はやむを得ず同国が発行するドル建て国債を買うが、満期に本当にドルで満額償還されるかどうか不安である。売りたいが市場はない。同国中銀の金庫には償還に見合うドルなど無かったのである。

そこにSmith氏が仲介役として登場する。だが同氏にも、エルサルバドルの現地通貨を魔法のようにドルに転換してくれる人を探すあてがあった訳ではない。悩んだ挙句に、米国へ出稼ぎしているエルサルバドル人社会に目を付ける。彼等は、米国で働き給与としてドルを受け取り、それを現地通貨に転換して家族に送金するのだ。それは、まさしく現地通貨を持て余し、ドルを切望する現地米企業の救いの神であった。

出稼ぎ組の僅かな送金額もまとまれば結構な金額になる。こうして原始的なスワップ取引が成立する。Smith氏は飽くまで「取立て屋」としての仲介業の一つのストーリーとして描写しているが、筆者には1983年に職場で見たJALのドル債とトリニダード・トバゴのサムライ債との通貨スワップの先祖のように思えて、思わず背筋が震えた。金融技術の開発とは、こういう「フィールド・ワーク」なのである。

1970-80年代の昔話など、現代の金融世代には受け容れられないかもしれない。PCさえ叩けばもっとスマートな取引が出来る。21世紀の戦争と同じように、現場意識なきゲーム感覚でビジネスが作られる。だがそれはラムズフェルド元国防長官が陥ったのと同じ罠に嵌った。金融危機で行き詰った人々はいま、盛んに原点回帰を叫び始めている。

但し金融の原点は、書店に溢れる書籍やコンサルタントの戯言にある訳ではない。不良債権の山を作った銀行OBの頭にも、公的資金を使ってギャンブルする海外勢の精神にもない。まさにSmith氏が描いたような「現場の成功体験」にあるのだ。楽をし過ぎた金融の再建に、「フィールド・ワーク」は欠かせない。キンドルを使ったおかげで、筆者も一つ勉強になった。

2010年3月12日(第216号)