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◆「金融史を教え(られ)ない理由

◆ 金融教育問題

ある講演で、いつものように「金融機関は金融史の教育が足りない」という話をしてきた。以前にも書いたように、トヨタやホンダでフォードの歴史を教えないというのは有り得ないし、NECや富士通が職員にパソコンの発展史を伝授しないとは考えられない。だがイタリアの「BANCO」時代に教会の批判を潜り抜ける為に高利融資を為替取引として説得してきたことや、欧州の債券がベルギーの歯医者のカバンに詰め込まれて国境を越えたルクセンブルグで利払いされていたことなど、たぶん銀行や証券会社が教えることはないだろう。

そもそも日本の大学には「金融の歴史」という講座がない。経済史や経済思想史はあっても金融史というセクターがないのは、教える者もいないし実務界もそれを必要としていなかったからだ。それよりも金融工学を、といって米国の真似をしているうちに、本家の米国ビジネススクールではバブルの歴史を教えてこなかったことが問題視され始めている。歴史と金融のコラボレーションが始まるのは良いことだ。金融工学も、金融技術の歴史という側面に光を当てることでその学習に幅が出ることは間違いないのである。

だが、金融の歴史をなぞっていくと、金融機関が金融史を教えないことには別の理由があるようにも思える。金融は、時として反社会的な体制を支持する役割を果たしてきたことが少なくないからだ。もっとストレートに言えば、金融は権力・権威と結びついて発展してきた産業(拙書「金融VS.国家」をご参照願いたい)であり、その歴史は必ずしも民主的な社会発展と平仄を合わせてきたとは言えないのである。悲しいかな、それが自動車やパソコンと異なるところだ(まあ、自動車を走る凶器という人も居ないではないが)。

金融が経済社会を引き上げる力の要素であったことは素直に認めるべきである。だがそれは現代社会が当然と目している民主主義や自由主義のプロセスに沿ったものではなく、時には反動的な体制を支持する力学として働いたことも事実だ。有名なのは、ルターの宗教改革を誘うことになった贖宥状(昔風にいえば免罪符)である。

贖宥状はそもそも教会が十字軍遠征費を稼ぐ為に発行したものだ。その後、16世紀にレオ10世がローマのサンピエトロ大聖堂を修復する為に発行したものが有名だが、金融との関連でいえば、やはりフッガー家の入れ知恵で「販売促進マーケティング戦略」まで導入して贖宥状を大量発行し荒稼ぎした、ドイツのマインツ大司教のケースを挙げないわけにはいかない。

これはまさに教会と金融がタッグを組んで、教会の堕落を招いたケース・スタディとして貴重である。だが、これを金融機関が金融史として教える場合、どんな視点で語れば良いのだろうか。金儲けの手段としては秀逸だが、それは当時普遍的であったキリスト教的精神に反していたのは明らかだ。現代風に言えば、やや性質の悪いアクティビストである。

反面教師として教えることも出来るだろうが、では当時の金融機関として何が社会的にそして倫理的正しい行為であったのか、キリスト教を社会宗教史として捉える土壌もない中で、その答えを汲み取ることは決して容易でない。金融史を、金融機関が胸を張って語れぬ一つの理由がここにあるように思える。

◆ リンカーンの魔術

金融が反社会的精神を見せるのは、中世の宗教的な逸話だけではない。もう少し時を辿って、米国の南北戦争の際に銀行家らが見せた態度も特筆されよう。高い評価とともに独裁者としてのネガティブな批判もあるリンカーン大統領は、奴隷解放を主張しながら南北戦争で北部連合を勝利に導き、米国の連邦制を死守したことであまりにも有名だ。

その戦争過程の中で、リンカーンは戦費調達で行き詰ったことがある。銀行家に借入を求めたリンカーンに対し、彼らが提示したのは24-36%という途方もない金利であった(この話はEllen Hodgson Brownに拠る)。これでは北部連合は破産すると絶望するリンカーンに、ディック・テイラー大佐が「議会に紙幣を刷ることを認めさせれば良い」と進言し、何ら価値の裏づけの無い「Greenback」を発行することになる。

そんなものが受け容れられるか、と訝るボスに対し、大佐は「なあに、Legal Tenderとはそんなものですぜ」と平然と言ってのけたというから恐ろしい(ただこの辺は現代の脚色もあろうが)。ともかく、この紙切れの発行で北部は資金繰りを乗り切って勝利した。銀行家は、後の紙幣に肖像が乗るほど人気が高まったリンカーンを助けなかっただけでなく、美味しいビジネス機会も失ったのである。

勿論、その銀行家らの判断は銀行家として間違っていないかもしれない。利潤を動機とする銀行にとって、高金利は高リスクの単純な反映である。だが24-36%という金利は、明らかに敗北を前提とした「貸したくない」との意思表示であった。北部連合は工業地帯であり、鉄道が発達して物質輸送など経済拡大への礎が敷かれていた。南北戦争での北部の勝利はそうした成長への足掛かりの筈であったが、銀行家は社会発展ではなく自らの富を守ることしか考えなかったのである。

似たような話は、ロスチャイルド家にもある。カール・ポラニーは同家を「道徳的な配慮には無頓着であった」と描写している。国際金融システムは19世紀の「平和な100年」を演出したと言われるが、戦争に融資することで財をなしたロスチャイルド家は、「短期で局地的」ならばいくらでも戦争を歓迎したのである。

そんな古い話は現代には関係ない、と思われるかもしれないが、20世紀に入ってからも例えばナチスにとことん利用されたドイツ銀行の例がある。同行のHPに拠れば、1930年代にナチス政権が誕生すると、銀行もまたその人種差別的政策に迎合することとなり、同行が保管していたユダヤ人の資産はすべて帝国の所有物と化してしまった、という。

現代にも、恐らく権力と癒着して私腹を肥やす類の金融は、小規模ながらまだ至る所に残っているだろう。ギリシアやイタリアの財政赤字を誤魔化すのを手伝って稼ぐのが何故悪いのか、といった声も聞こえてきそうである。違法でなければ何でもやってよいという金融DNAは健在なのだ。この悲劇を主要メディアが暴けないのは情けない。

そんな話で一杯の金融史など、職員研修所で滔々と喋れるはずもない。あるいは、そうしたDNAを残す為にも敢えて金融史は教えないというのが金融界の選択肢であるとすれば、やはり今後も金融危機や金融ゴシップが絶えることはないのかもしれない。

2010年4月9日(第218号)