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◆パピエル・マルクの恐怖

◆ ドイツ帝国からワイマール共和国へ

ギリシア問題では、当たり前だが誰もがドイツの出方に注目する。ユーロ圏にはドイツしか支援余力がないからだ。まるで、今から80年前にドイツ自身が国家破綻に瀕していたことなど忘れ去られたかのようである。

1,320億ゴールドマルクという途方も無い賠償金を突きつけられ、通貨価値が1兆分の1にまで暴落し、結果としてナチスの台頭にまで及んだ悲しく辛い歴史は、いまだに人々の心に刻印されている。誰も寛容な支援などしてくれなかった。自力で再生するしか、ドイツには選択肢が無かったのである。

それなのにいま何故、自業自得の放漫財政国家を支援する必要があるのか。平均的なドイツ国民なら、きっとそう思うだろう。市場の安定の為といった「金融村のロジック」は、現代社会において普遍的な価値観として定着している訳ではない。

我々は、当時のドイツ金融の話として「レンテンマルクの奇跡」を何度も聞かされてきた。賠償金の重荷に耐えかねて暴落したマルクを救った、まさに伝説的かつ神話的な物語である。だがそこに至る経緯はあまり知らされていない。レンテンマルクがドイツ経済を救った話は確かに興味深いが、それよりもなぜ通貨が1兆分の1にまで暴落したのかを探るほうが、好奇心をそそる。特に、今の時代はそうである。

当時のドイツ中銀であるライヒスバンクが発行した高額紙幣は「パピエル・マルク」と呼ばれた。パピエルはペーパーである。要するに「紙マルク」だ。金本位制の中では、ペーパー・マネーはジャンク中のジャンクであった。今ではペーパー・マネーすらも「フィアット・マネー」として流通しているが、本質は殆ど変わっていない。

そもそもドイツというのは解りにくい国だ。神聖ローマ帝国をドイツ第一帝国と呼ぶ人もいるし、1815年に生まれたドイツ連邦をドイツの始まりだという人もいる。だが最も常識的な理解は、普仏戦争後の1871年にビスマルクによってドイツ統一が果たされたことを以ってドイツ誕生とする見方だろう。所謂「ドイツ帝国」である。そして中銀たるライヒスバンクは1876年に設立されているが、その前身はプロシア中銀としてのライヒスバンクである。ドイツ統一前には、同行を含めて実に31行の中銀(発券銀行)が存在していたとう。

ドイツ帝国は第一次大戦後の1919年には事実上崩壊し、共和政が敷かれてワイマール共和国となった。だがライヒスバンクはそのまま受け継がれ、共和政の元で中銀の機能を司ることになる。そして1921年のロンドン会議で天文学的な賠償金を課されることになり、同行が通貨を乱発してハイパーインフレを起こすことになったのは周知の通りである。

因みにドイツに対する膨大な賠償金はフランスが強く主張したと言われているが、フランスの目的は金ではなくてドイツを徹底的に弱体化させることにあった。Liaquat Ahamedの「Lords of Finance」に拠れば、当初は米国から多額の借金をしていた英国がドイツからの賠償金で米国への支払を済まそうとして、最も強硬な立場を取ってい

たらしい。そういう歴史を巧みに消し去るのが、アングロサクソン外交の上手いところである。

◆ ライヒスバンクの悲劇

ドイツ帝国の中銀として、ライヒスバンクが発行していた「ゴールドマルク」は、その経済力を反映した「強い通貨」であった。だが戦争はそれまでの経済史を簡単にデリートしてしまう。賠償金支払を迫られたドイツには金準備など無く、「ゴールドマルク」は「パピルスマルク」という何ら裏付けのない通貨へと切り替えられていく。財政赤字が累積していく国家の宿命である。

因みに戦争前のドイツのGDPは120億ドル程度であり、パリ講和会議で議論されていた1,000億ドル規模の賠償金は約8年分のGDPというとてつもない金額であった。利払いだけでGDPの40%に達する。現代の借金王国である日本でも2-3%程度であるから、想像するだに恐ろしい水準だ。

ドイツから搾り取ろうとする英仏に対し、米国はより緩和した条件で妥協を図ろうとする。別に人道的な救済ではない。債権国である米国にとって、欧州が共倒れになることが最悪のシナリオであったからだ。その後、ドイツ経済を早く復興させたほうが欧州の利益になるといったケインズらの主張によって、英国も米国に同調して現実路線へと傾くが、フランスは徹底してドイツからの巨額賠償金を主張して譲らなかった。

賠償金の減額調整が行われる中でも、ドイツ経済は日に日に悪化していった。1914年には1ドル4.2マルクだった為替レートは、1920年には1ドル65マルクにまで暴落している。その後一時安定化したが、1922年には再び暴落してなんと1ドル7,600マルクという水準にまで吹き飛ばされてしまった。

1923年にはフランスによって工業地帯のルール地方が占領される。ドイツは財政支出を拡大させ、その赤字補填のために通貨増刷へと向かう。1兆マルクが増刷された1922年に比べ、1923年の増刷は17兆マルクに上った。ある歴史家は「尻尾を追いかけるどんな犬でも、ライヒスバンクの紙幣増刷ペースにはかなわなない」と述べている。

あとは史実が語るとおりだ。1923年8月には1ドル620,000マルクとなり、11月には6,300億マルクになった。バター1キロを買うのに2,500億マルクが必要になった。こうなるともはや想像力も追い付かない。

この状態を為す術なく眺めていたのがライヒスバンクのルドルフ・ハーベンスタイン総裁であった。ワイマール共和国の要請通り紙幣を発行しなければ金利は急騰し、経済は再び混乱して政治も不安定化する。紙幣を乱発し続ければ物価は上昇し続ける。どちらを取っても破滅することは見えていたのである。

政治に抵抗して増税・歳出カットを主張することも出来たかもしれないが、戦勝国は、増税するくらいなら賠償金を払えと口を揃えて罵倒しただろう。この状態を簡単に「政策のジレンマ」といった言葉で説明することは不可能だ。

ハーベンスタイン総裁は、企業や市場が望む限り中銀は紙幣を刷り続けるだろう、と述べた。「私は十分なお金を融通しているだけであってインフレなど関係ない」とも言い放った。語り手を「バーナンキ議長」に代えてみても、たいして違和感はないかもしれない。もっとも、同総裁も現代人と同じように、紙幣を刷っているうちに何とか事態が好転するのではないか、と淡い期待を抱いていただけなのかもしれない。

その後、有名なシャハト氏の「レンテンマルクの奇跡」が生まれる。これは機会があれば書くことにして、今回はライヒスバンクとFRBに「宿命的相似性はあるのか」といった不気味なテーマを持ち出したところで、ひとまず終わりにしておこう。

2010年4月23日(第219号)