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◆リスク・マップの必要性

◆ リスク再考

先日、マンデルブロー教授が他界された。同氏の「フラクタル幾何学」は、筆者にとって仕事だけでなく人生にも大きな影響を与えた書籍であった。綿花や株価のチャートから連想された自己相似性を一つの数学部門にまで発展させたその鮮やかな発想は、数学や物理の世界に止まらず、複雑系の科学の基礎を与えたといってよいだろう。

フラクタル、べき分布、その裏側に隠れていたカオス、という魅力たっぷりの数学に魅せられて、筆者も「リスク再考」という本を書いた。だがこれは殆ど売れなかった。先般、この本を愛読しているという珍しいある専門家に呼ばれて、1時間ほどの番組収録を行ってきた。

彼に「相場予測に関して日本で最もエッジの効いた本ですね」と言われて恐縮したが、これは1997年の暮れに渋谷のとある名曲喫茶にワープロを持ち込んで朝から晩まで粘って書き上げた覚えがある。確かに自宅やオフィスで書いたものと違って、どこか刺々しい論調になっている。それは渋谷の場末という環境が多少影響したかもしれないが、当時は金融工学の流行に対する筆者なりの反抗時期であったことも、強く左右しているのだろう。

もっとも、市場はランダムではなくオプションなども所詮作り物の世界に過ぎない、との認識の正しさは、2007年以降の世界的金融危機が証明してくれることになった。「ブラック・スワン」よりも10年早かったことを自慢しても良いとは思うが、それよりもこうした徹底的に批判的な視点があったからこそ、市場を冷徹に見てこられたのではないかと密かに自負している。

その後、ドイン・ファーマー教授やユージン・スタイン教授、高安秀樹先生らの経済物理学の世界との接点を深め、複雑性からの短期相場予測にのめり込んだ時期もあった。だが、ディーラーとしての仕事から解放され、短期的な予測可能性への追求には長期的な構造変化への視点を失う危険性が伴うことも感じ始めて、その世界からは少し足を遠ざけている。グレート・モデレーションといった湯船の中に浸っている時代には、短期予測に力を入れることもそれなりに意味があったが、デレバレッジ・プロセスに向かう大変革の時代には、短期予測が視野狭窄に陥る代償は小さくない。予測は長期の軸をも必要としている。

だが「リスク再考」で述べたように、相場の長期予測とは殆ど占いのようなものである。それが複雑性議論の本来の帰結でもあり、長期性予測に幾ら力点を置いたとしても、予測の精度が上昇するとは思えない。2015年に日経平均がどうなっているか、それはどんなに変数を増やしてみても、どんなに予測モデルを精緻化してみても、当てずっぽうで答える小学生の答えよりも当たる確率が高いとは言えそうに無い。

ただし経済行為そのものにはある程度の長期予測が必要とされる。予測を放棄することはむしろ資本主義を否定することにもなりかねない。企業が設備投資するのも、新興国への進出を考えるのも、工場施設を廃棄するのも、すべて一定期間の経済予測が前提となる。相場の長期予測はたいして効果が無いかもしれないが、経済の長期予測は資本主義には必要不可欠な作業なのだ。仮にそれが外れたとしても、予測の意味が廃れる訳ではない。どこまで考え抜いたのかを問われるのが、資本主義社会における経済予測である。

特に、世界史的な構造変化を含む経済予測は重要だ(そこでの個人的なお勧めは柄谷行人氏の「世界史の構造」であるが、この座標軸は長過ぎて事業家の参考にはなるまい)。その前提として、パワー・バランスだけでなくレバレッジの修正から中国の政治的安定性まで、あらゆるリスクを考慮に入れて「時限爆弾想定図」を描くことが必要になる。そういう総括的な仕事が、日本には極めて少ないように思える。

◆ リスク・マップ作成

通常、保険会社などが作成するリスク・マップは、横軸に発生頻度を、縦軸に損害規模を置いて、二次元平面で個別リスクがどの位置にあるのかを視覚化するものである。金融市場においても、いわゆるミドル・オフィス的なリスク管理として同じようなリスク・マップを利用しているところもあるだろう。

だが、いま必要なのは、文字通りの「グローバルなリスク・マップ(リスクの世界地図)」である。つまり、世界各国のどのあたりに時限爆弾が埋められており、その爆発確率が現在どの程度であるのか、を視覚化するようなリスク・マップである。つまり、既存のリスク・マップから得られる数々のプロットを、世界地図に一気に投影してみることが必要なのだ。

2007年のサブプライム問題発生以降、世界の市場は何羽ものブラック・スワンの登場に翻弄されてきた。2009年以降の経済の落ち着きは歓迎すべきことであるが、時限爆弾がすべて撤去されたとは言い難い。言葉を変えるならば、現代の資本主義社会は、いつどこで爆発が生じるのか怯えながら経済活動を行うしか術がないのである。

つまり、この小康状態の中で行うべきは、爆弾の存在位置と爆発可能性そして爆破威力とその影響度の推定である。それが長期予想のための第一歩であろう。米経済が二番底に陥るとか、ギリシアがデフォルトするとか、そうしたリスクは既に世界中が認識している通りであるが、その実現時期や日本への影響度はもう少し分析されて然るべきだろう。

また、なかなか市場視野に入ってこない材料として、例えば米国の州・地方政府の赤字問題がある。これは時限爆弾としては規模が大きいが、市場の警戒度はまだ薄い。GSEや大手機関投資家によるモーゲージ買取り請求による米銀損失の可能性も、破壊力のよく見えない爆弾の一つである。欧州や中国の銀行にも不良債権に関する不透明性は残ったままである。

ヘッジファンドには「グローバル・マクロ」という運用戦略があるが、いま日本経済に必要なのは、その手法を経済構造予測に援用する「グローバル・リスク・マップ」作りではないだろうか。

こうしたマップは、定期的に見直しを行う必要がある。損害保険のリスク・マップは一度作成すればそれが当面のテキストになるが、金融リスクのマップはそうはいかない。新たな爆弾の発見や、爆発可能性の変化など、アップデートが必要になるからだ。弊誌や姉妹紙の「世界潮流」は、実はその為に存在しているようなものである。

経済の長期予測が難しいことは認めざるを得ないが、その為のインフラ作りこそが現代の「リスク再考」の結論なのではないか。過去の金融・経済危機はまさに自己相似形である。フラクタルや経済物理学が、そんなリスク・マップ作成に応用出来る可能性は無いのだろうか。

2010年10月29日(第232号)