HOME > 2010

◆バンコールの教訓

◆ SDRとバンコール

2009年3月に、中国人民銀行の周総裁はやや唐突に「SDRを準備通貨に」という主張を行い、世界を驚かせた。これは「非現実的な問題提起」として英米などドルを主要準備通貨とする現体制維持支持派によって黙視されることになった。バスケット通貨議論に馴染みの薄い日本でも殆ど無視された。金融市場が、同年夏以降の米国経済の回復や2010年に顕現化した欧州債務危機によって、ドルは引き続き安全通貨であるとの認識を示したことも、SDR議論を吹き飛ばしてしまった。

だが、中国のドル不信は消えていない。2兆ドル以上にまで積み上げてしまった外貨準備の運用において、同国は今年に入ってドルやユーロを減らして日本円のシェアを高めるという戦術に転換している。5月には7,352億円と単月買越額で過去最高額を記録し、1-7月累計では2兆3,157億円に達している。その購入が殆ど短期債でありまた8月には一転売り越しになったことから、一時的なドル回避に過ぎないとの見方もあるが、これまでの言動からすれば、やはり中国の「ドル離れ」が徐々に進行しているのは間違いないだろう。

中国は、人民元をドルの代替通貨と考えているのではなく、ドルやユーロ、ポンド、円など世界の主要準備通貨の一つという位置付けを狙っているのは明らかだ。現時点では世界の外貨準備のほぼ60%をドルが占めているが、そのシェアは低下傾向にある。主要通貨としてのドルの地位は揺るがないものの、いずれドルとユーロという二大通貨に加えて他の3-4通貨が主要なシェアを占める構図になると予想される。中国はそこに「参戦」するのが狙いなのだ。

これは「バスケット通貨」を準備通貨とする考え方であり、1942年にケインズが戦後の通貨体制として考案し提案した「バンコール(Bancor)」構想の復活でもある。当時このアイデアは、英国へのライバル意識を剥き出しにした米国の反対で潰されたと言われているが、政治経済学者でありまた社会運動家でもあるスーザン・ジョージ女史は「その背景はもう少し複雑だ」と述べている。その解説に従って、過去を振り返ってみよう。

ケインズが提示した案は、ITO (International Trade Organization)の下で、世界の中央銀行に相当するICU (International Clearing Union)が国際貿易の為の「共通通貨」すなわち「Bancor」を発行する、というものであった。だが21世紀の今日、我々の前にあるのは、WTOと決済・準備通貨体制としてのドル基軸制度である。シナリオはどこでどう変わったのだろうか。

◆ バスケット通貨への夢

英米両国が第二次世界大戦後の姿を議論し始めたのは1942年、戦争が始まってわずか1年後のことである。その時点で既にケインズは、ITO/ICU体制を提案していた。一方、ブレトン・ウッズ会議の米国代表であるハリー・ホワイトが世銀・IMF構想を推していたのは周知の通りである。米議会もこの両組織の設立を支持していたが、ITOに関しては機が熟していなかった、と教授は述べている。その時点では別に米国が英国案に反対していた訳では無さそうだ。

1945年の国連発足に伴う経済組織ECOSOC(Economic Social Council)の誕生で、英米はその場においてITOに関する議論を開始する。翌年には貿易と雇用に関するコンファレンスが召集されたが、米国は自由貿易の再開を望む国連加盟22か国とGATTをまず成立させる戦術を取った。それはITOの一部として位置付けられており、GATTが署名された1947年の翌年に「ハバナ憲章」としてITO設立が各国間で合意されたのである。

だが結局ITOが陽の目を浴びることは無かった。スーザン・ジョージ教授は、その政治的意欲が消滅したからだ、と述べる。提唱者のケインズは1946年に他界し、米国側での国連・ITOの推進者であったコーデル・ハル国務長官は既に政権を去っていた。米財務省は、マーシャル・プランで頭が一杯であった。ホワイトハウスも1948年の選挙で忙殺されており、面倒な国際問題は回避するのが得策と判断した。そのうち冷戦も始まる。米国におけるITOへの優先順位は、大きく引き下げられたのである。

米国企業にとっても、ITOは中途半端な存在であり、議会もこれに冷淡な対応を取った。貿易に関しては、取り敢えずGATTが機能していたことも、ITOへの関心度を薄めていったのだろう。結局米国は「ハバナ憲章」を批准しなかったのである。そしてITOとパッケージに提案されていたICU、つまりはBancor構想も彼方へ消え去った。その後60年以上、このバンコールにスポットライトが当たることは無かった。

ケインズは、1920-30年代の各国による「近隣窮乏化政策」が戦争を生む一つの契機になったと見て、バンコールを考案したのである。このシステムに拠れば、輸出国はバンコールを獲得し、輸入国はそれを支払い手段にする。そして毎年末にはICUにおける両国の間で過不足がゼロになるよう調整されるのである。

ICUは、通常の銀行の当座貸し越しのように「バンコール」の赤残を許容する。当然金利が課されるが、画期的なのはバンコールを貯めた国にも金利が課されることだ。赤字国は為替レートの切り下げを、黒字国は切り上げを余儀なくされる。それでも黒字を溜め込む国からはバンコールを強制的に没収し、リザーブ・ファンドに積み立てて危機などの対応の為に保管しておく、という仕組みである。

現代の不均衡経済に慣れた目からすれば、特異な枠組みにも見える。だが、没収システムは別として、交易を共通通貨で行うアイデアはやはり再考されてしかるべきだろう。バスケット通貨などユーロやSDRを見れば失敗するに決まっている、と斬り捨てるのは容易い。だが現行制度を続ける中で現代の通貨戦争を終結しうるのは本物の戦争しかないと歴史から学ぶとすれば、我々の選択肢がもはや限られたものでしかないことは明らかではないだろうか。

2010年12月10日(第235号)