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◆1980-90年代のレッスン

◆ 学習効果無き金融市場

2007年のサブプライム問題以降、今年のエジプト・リビア政情不安そして福島原発事故に至るまで、ここ数年間の金融市場は大きな事件に直面して右往左往しているのが実状である。だがよく見れば、殆どの変動要素は、全く新しいタイプの材料ではなく「どこかで見た、いつか体験した現象」の繰り返しでしかない。バブルの歴史を繰り返す経済は学習効果の無い世界だと言われることも多いが、金融市場もまた過去のレッスンを活かしきれていないのかもしれない。いくつか具体例を挙げてみることにしよう。

まず、未だ記憶に新しいサブプライム・ローンの証券化問題である。これはCDSとともに金融工学の暴走といった側面で語られてきた。だが、金融商品が暴走したのはこれが初めてではない。1994年にバンカースがP&Gと締結したデリバティブズ取引を覚えている人も少なくないだろう。あの一件で、取引案内に掲載するディスクレーマーが10倍以上に増えたことは、今でも忘れない。

当該取引は、P&Gが5年債利回りを5.78%で割った数字を98.5倍し、30年債価格を差し引いたものを支払う、という曲芸的な条件を持つスワップであった。低金利であれば有利だが、高金利になれば支払い金利は40%にも50%にもなる。似たような取引を、バンカースは他社にも売り込んだ。金融工学の先端を突っ走った同行は、商品をも暴走させて自ら破滅に向かったのである。

金融市場は暴走すると言われる。だが、異様な市場には必ず逆張りが出る。暴走というニュアンスに近いのは、むしろ一方通行の商品開発である。それを知った技術者は、商品開発に常にブレーキを掛けておくことを学んだ。21世紀の若い人々と商品開発の怖さを知らない経営者は、職人らが得たレッスンを学ぶことが無かったのだ。

ではギリシアやアイルランド、ポルトガルなどのソブリン・リスクはどうだろうか。これもまた古い話の繰り返しに過ぎない。筆者が講演でよく例に出すのは、1980年前後に世界を震撼させた累積債務問題である。ソブリンは破綻しない、という当時のシティコープの経営陣らの讒言に惑わされ、我が職場であった東銀は欧米銀と一緒になって中南米や東欧に貸し込んだ。それは、余りにも無残な結果を生んだ。

先進国だからデフォルトしない、というのは神話に過ぎない。確かに戦後のデフォルトは途上国や新興国が殆どであるが、ロゴフ・ラインハート両教授の名著を覗いてみれば、ギリシアなど1830年の独立以来、5回もデフォルトしていることが判る。スペインに至っては、建国以来13回もデフォルトしているのである。ギリシアやアイルランド問題でパニックになり、国債がヘアカットされるのはけしからんと怒る人々は、金融史の勉強が全く足りないというしかないだろう。

また、ベア・スターンズやリーマン・ブラザーズで問題になった「過剰なレバレッジ」に関して言えば、我々は1998年のLTCM危機の際に全く同じ問題を見てきたのである。LTCMが破綻寸前に陥ったのはロシア危機が直接の要因と見做されているが、そのポジションは過大なレバレッジが生んだものである。

当時、米銀にいた筆者は毎週のように顧客のレバレッジ動向のチェックを報告させられていた。それだけレバレッジに神経を尖らせていたのである。それが10年も経たないうちに、顧客レバレッジ動向を警戒していた筈の金融機関自らが過剰レバレッジの土壌と化したのであるから、全く恐ろしい話である。

◆ 為替市場におけるデジャヴ

こうした具体例は枚挙に遑が無い。ブラック・マンデーが見せた市場の複雑系的プロファイル、バーゼル委員会での統計的リスク管理への傾斜、アジア危機におけるドル流動性の枯渇など、1980-90年代はリスク管理の為の「レッスンの宝庫」であった。そして、敢えて今後の参考になるかもしれない重要な事例をもう一つ挙げておくとすれば、1985年のプラザ合意である。

あの強引なドル高修正から何を読み取っておくべきだろうか。米国の第三の経済政策としての通貨戦略の危うさ、日本における円高不況を防ぐ為の超緩和政策の失敗といった側面は、忘れるべきではない。だがそれに加えて、変動相場制には必ずしも経常収支不均衡を調整するほどの力はない、という事実も重要である。政治家や投資家は、現在の為替相場の自律的調整力を過大評価しているように見える。

1980年代前半、黒字国の日本や西独と赤字国の米国との間の不均衡を埋める為に、様々な議論が交わされたが、結局「ドルが高すぎる」という単純な結論に落ち着いた。だが為替市場はそれを修正する力学は働かなかった。プラザ合意は、ドルを押し下げるという政治的意図を通じて為替調整を行ったものである。その判断や効果は別として、プラザ合意は「市場はそれ自体で均衡しない」という市場の弱点を浮き彫りにすることになったのである。

現代の通貨戦争は、黒字国対赤字国、先進国対新興国といった重層的な関係の中で紛糾しながらも、中心課題が人民元とドルの問題であることは明確だ。人民元水準に関しては、中国が意図的に通貨安政策を採っていることが、市場における不均衡調整を妨げているとの見方が体勢であるが、それ以外にも「取り敢えずドル」という市場選好が底流に流れていることも見逃せない。

それは「基軸通貨プレミアム」と言っても良いだろう。中国が通貨介入を辞めれば急速に人民元が上昇する可能性はある。インフレ防衛の為に多少の切り上げは容認するだろうが、米国が望むほどのドル安にはならないだろう。ドルを下落させない為の力学が、国際金融市場に出来上がってしまったからである。

不均衡を調整するには、ブレトンウッズ体制・プラザ合意に匹敵するような為替水準調整のグローバルな政治的合意か、或いは準備通貨システムの考え方を根本的に変えるか、の選択肢以外に無いだろう。それがプラザ合意から得るべきレッスンである。G20は新たなG7構想(日米独仏英中印)で不均衡問題を検討するとの観測が浮上しているが、解決すべき中心課題が「ドル」である限り、米国と金融市場の意識変革が無ければ当面何も決まらないだろう。

オマケとして、もう一つ気になるのは中東・北アフリカに見られる地政学リスクである。それは1989年のベルリンの壁、1991年のイラクによるクウェート侵攻、2003年のイラク戦争といった教訓が参考になると思われるが、これについては読者の皆さんの想像力にお任せするとしよう。唯一のヒントは、西欧流の「ウィッグ史観」に染まって進歩主義的な思いに陥らぬことである。ある秩序の崩れは新しい秩序を生むとは限らない。これは西欧的政治学よりも、物理学の方がより多くを語ってくれる。教訓は学んでこその教訓である。後知恵は、三流評論以外に何の役にも立たないのだ。

2011年4月22日(第244号)