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◆ドイツに何を学ぶか

◆ 財政政策無き経済回復

今月から本誌がWeeklyの「マーケット・アップデート」とMonthlyの「コラム」に分離されたので、私の書き物も後者の毎月1回になる。これがCMA第1回目の原稿だ。もっと市場に密着した意見を書け、というご要望もあるのだが、実務を離れて長いので、マーケット・トピックスに関する市場論評は実力派揃いの書き手の皆さんにお任せするとして、勝手ながら編集人として感じるところを述べるという従来の方針を、今後も継続させて頂こうと思う。

さて今回のテーマは「ドイツ」である。最近、ドイツはあまり評判がよろしくない。ユーロ圏ではギリシア問題を契機として我が儘だとか自己中心的だとか非難され、原発問題では日本やフランスから、腸管出血症問題ではスペインから不興を買うなど、ドイツ批判は絶え間なく続いている。米国もリビア介入に参加しないドイツに苛立ちを隠さない。だがそこには、ドイツ経済が好調であることへの妬みも若干混じっているような気がする。実際、危機以降のドイツ経済のしたたかさは目を見張るものがある。

リーマンショック直後には、震源地の米国よりも耐久財生産国の日本やドイツの方が厳しいマイナス成長を強いられたことは記憶に新しい。その後、各国は大胆な政策出動によって経済の底割れを防いだが、そのプロセスにおいてドイツは積極的な財政出動にはやや否定的な姿勢を見せ、先進国最大の財政赤字国である某国首相から「ドイツは財政政策の意味が解っていない」と批判される立場に追い込まれた。

だが危機からほぼ3年近く経過して見えてきたのは、金融・財政による刺激策をフル稼働させた米国や日本では財政赤字再拡大と低成長が続き、ドイツでは財政規律の復活と堅調な成長率が維持されるという、まことに皮肉な姿である。英国は昨年の政権交代を契機として、遂に財政拡張論の日米と袂を分かち、ドイツ型の緊縮財政モデルへ転換することになったのである。もっとも英国はドイツと違って、スタグフレーションのリスクを抱え込むという難しい局面に立たされており、キャメロン政権はケインジアンらから厳しく批判されている。

やはりドイツがなぜ上手く経済運営しているのか、ちゃんと観察してみなければならない。一般的には、ギリシアやアイルランド、ポルトガル不安などでユーロ安になり、それがドイツの輸出を救ったのだという見方が強い。だがユーロドルは昨年6月に1.20を割れた後、この1年間はほぼ一貫して上昇しているのだ。危機以前の2004-2007年の相場水準も1.20近辺であった。最近、欧州不安再燃で値を崩しているとはいえ、1.40前後である。ユーロは決して安い訳ではない。

むしろ、ドイツはユーロ圏の中で割高にはなりえないという為替特権をフルに利用している、という推論の方が正しいだろう。周辺国を犠牲にして自分だけ稼いでいる、とも言える。以前であればマルクが上昇して欧州諸国間での収支が調整されたが、その収斂機能はいまや存在しない。だが、欧州内だけの議論でドイツ経済の強さは測れない。対米、対中そして対日でも、その輸出競争力が強靭であることは認めねばなるまい。

更にドイツでは内需も着実に回復している。同国が、米国流の刺激策による内需拡大を小馬鹿にしているのは明らかだが、財政政策を採らずとも内需が伸びてきたということは、資本主義経済の中に然るべき自律的回復機能がきちんと存在していることを証明しているようなものであろう。

内需拡大は、国内企業の復調と雇用や賃金の安定化が大いに寄与していると思われる。ドイツ

人はもともと質素だから消費増など内需拡大は望めない、といった説を聞くことも少なくないが、それは必ずしも正確ではない。

◆ 自分達の社会を信じる強さ

余談であるが、先般ちょっとドイツへ旅行してきた。もともと、バッハやベートーベン、ゲーテ、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ウェーバー、そしてエルンストやデューラーなどを生んだドイツは好きな国なのだが、最近の元気なドイツをちょっと見ておこうという気分にもなったからである。ドイツは福島原発事故の際に最も厳しい報道を行った国であり、ある政府機関に勤める友人の言に拠れば、政府の中には外交問題として処理すべきという声も上がったらしい。

日本からの旅行者にも差別待遇があるかも、と警戒しながらドイツ入りしたが、それは杞憂に過ぎなかった。ただ、テロ行為に過敏になっているのは事実であり、入国審査官に財布の中身まで調べられたのには閉口した。もっとも、1週間ほどの旅行者に同国経済の何が解る訳でもない。旅行を通じたドイツ経済の好調さの解明、という訳にはいかない。かといって経済統計的アプローチをご披露するような資料もない。

今回もまた「感覚論的雰囲気論」である。ドイツ経済がなぜ回復したか。前述したように、生産力がもともと高く同じ為替レートのユーロ圏では圧倒的な輸出競争力があるので、南欧などの犠牲の下でドイツは繁栄している、というロジックも一理あるだろう。だが筆者はやはり内需が伸びていることに注目したい。それは「経済構造への自信」のなせる業ではないだろうか。

日本経済は何度も苦境から立ち直ったと言われるが、それはドイツも同じである。むしろ20世紀以降の100年間に絞れば、ドイツの甦生力の方が上かもしれない。第1次世界大戦からの復興、第二次世界大戦からの回復、そして東西ドイツ統一の成功、さらに金融・経済危機からの脱却という4度にわたるリカバリーである。こんな国は他にはない。

ドイツは輸出依存が約40%と高い。日本は16%程度である。日本は米国から「輸出依存度を減らして内需拡大を」と説教されて盲目的に従順な姿勢を採ってきたが、ドイツはその輸出構造をむしろ誇りにして、米国から内需拡大をと言われてもしっかり無視し続けてきた。

彼等には、自分達が作り上げてきた経済構造を頑なに守る強さがある。それが4度のリカバリーの基本にあることを、肌で感じ取っているからだ。時代に即した変化も必要だが、ここは変えられない、という軸の強さを持つことも重要なのだ。日本に決定的に欠けている哲学である。

輸出で稼いだ金は、節制しながらも消費に使う。GDPに占めるドイツの消費シェアは57%程度(2008年)で、英国の66%より低いが、58%のフランスや60%のスペイン・イタリアとそれほど差がある訳ではない。質素に見えるが、ドイツも雇用や所得が安定すれば消費は伸びる。そこに無理な財政政策を持ってくる必要は無いのである。

詳細に立ち入る余裕は無いが、ドイツが東西ドイツ統一以来の懸案であった雇用政策に成功したことも、もっと採り上げられてよいだろう。前政権が行った「ハルツ改革」と呼ばれる労働市場改革には批判もあるが、今回の危機における雇用問題を最小限に食い止めたという効果は無視できまい。

日本はドイツのような社会民主主義的市場社会に親近感を抱く体質を持っている。また輸出を基本に置く経済構造も、質素な生活を重んじる性格も似ている。1930年代にはヒットラーに接近して大失敗したが、現代ドイツは今でもお手本となる国の一つである。1980年代以降、米国に追随しようとして失敗したのを契機に、もう一度ドイツ流を真似してみても良いのではないか、と帰りの機中でデューラーの銅版画集を眺めながら、そう思った。

2011年7月21日(第001号)