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◆中央銀行「独立時代」の終焉

◆ ある講演会で

先日、ある自民党の衆院議員秘書から「欧州危機と円高問題について勉強会で講演して欲しい」と依頼が来て、同党本部へ出掛ける機会があった。弊社の事務所は麹町にあり、永田町はすぐ隣の町であるが、既存政党支持者でもなく、また政治家とは基本的に無縁な仕事をしている(したい)ので、そんなビルに入るのは初めてである。5年ほど前に首相官邸で講演したことがあるが、それに次ぐ人生2回目の「政治家絡みのお仕事」になった。

その議員や支持者らの関心が、「円高基調は終焉したのか」というテーマであることは明らかであり、欧州危機の説明を踏まえて米国と中国の経済、そして中東問題に言及しながら、「大きく変化しているのは日本経済構造だけではありません」と為替レートの相対性を論じて帰ろうと思ったが、議員から「日銀はなぜもっとアグレッシブに行動しないのか」という質問が出て議論が長引き、設定された時間を軽くオーバーし、討論会のような雰囲気になってしまった。敏腕弁護士ならば、さしずめ追加料金を頂くところだろう。

その議員は、日銀法改正を主張するグループの一派であり、FRBのようにカネをばら撒いてデフレを脱却すべし、と叫び続けている政治家であった。そんなヒトが、なぜFRB批判を続けている筆者に講演を頼んだのか理解に苦しむが、たぶん、私のことなど何も知らずにただテレビで見た、本屋で名前を見かけた、というだけで呼んだのが真相だろう。

私が講演の中で、FRBが絶対正しいと思い込んで日銀に追随させようとする動きにはリスクが潜んでいる、と述べた点が当人の気に障ったのは間違いない。質疑応答の際に、自身の対日銀の考えを明らかにした上で、もっと日銀に明確なインタゲと緩和姿勢を強要させることが必要ではないか、と食い込んできた。

もっとも、筆者も歳を取ってきたので、銀行勤務時代のように上司と喧嘩腰で議論する趣味は無くなった。また議員の言い分にも一部ながら理解出来る部分があったので、そこはひとまずご指摘通りと立てながら、中央銀行に依存するだけで他をないがしろにするという姿勢が海外に見えたら終わりなのです、という点を繰り返し述べておいた。中銀の対応が時間稼ぎであり、その与えられた時間内に何をすべきかが政治家の仕事なのではないですか、と軽く反論したのだが、議員殿はそれでも日銀の行動は遅すぎる、と繰り返すばかりであった。それが永田町なのである。

また、デフレは金融現象だという古い言い伝えが、まだ永田町には深く根付いていることも判明した。確かにFRBは2010年の「QE2」でデフレを回避した、という評価があるが、それはインフレ率の低下を減速させたというのが正しい観察であって、デフレをインフレに戻した訳ではない。デフレを、インフレを煽る幻想的金融政策だけで解消できると思う人は、ゲーテのファウストでも読んでその顛末を想像してみるべきだろう。そんな嫌味な話はしなかったが、マネーの一方的増殖を放置すれば何が起こるのか、政治家は一度くらい経済史書にあたっておく必要がある、とだけ言い残して党本部を出た。

◆ 中銀の独立性について

と書くと、やはり喧嘩腰なのではと思われるかもしれないが、それでも同議員は財政赤字問題の重要性にはきちんと理解を示してくれた。筆者が、海外投機筋が注目するのは日銀アクションよりも政治の財政対応なのだ、と繰り返したことも、貴重なアドバイスだと言ってくれた。自

民党の方針がどうなろうと、自身は消費税増税には条件付きながら賛成だと述べるなど、市場の安定性が実体経済の安定を担保するという点には異論がない、とも言っていた。

そんなやり取りの中で感じたのは、政治家という人種の政策的優先順位度に対する哲学は、市場の認識するプライオリティ付けとかなり温度差がある、ということである。問題意識をピックアップする能力に欠けている訳ではない。何が重要課題かは、様々なネットワークを通じてリストアップされるからだ。だがそこで何を優先させるべきか、という市場的反応には乏しい。政治家は、市場経済の中で生きているという感覚が全くないに等しいのだ。

この議員にとって明らかに重要なのは、日銀法改正なのである。財政赤字対策も重要なことは解っているが、それは後でも良い。むしろそれは政局が絡むスケジュールの中で考えるべきことなのであり、目先は日銀法を改正して政治的圧力を掛け、仕事していることを地元民にアピールすることなのだ。市場に日銀脅しと財政改革のどちらが重要か、と問えば答えは明らかだろう。だが、永田町ではまず日銀総裁に国会で証言させることの方が先決問題なのである。これが、財政赤字という問題を先送りさせる決定的なメカニズムなのだろう。

日銀に対して政治的プレッシャーを与えるというのは、ある意味で当然のことであり、これに異を唱えるつもりはない。むしろ「中央銀行の独立」というのは、市場経済に対する一種のイルージョンを与えるものだ。それは通貨の信認を経済全般に対して「布教」する為に必要な装置に過ぎないからである。

人々は、通貨は愚行に陥りがちな政府から離れて中央銀行がしっかりと管理するものだ、と思っている。或いは、そう思っていた方が安心である。だから中銀の独立という建前は捨てられない。それは金を離れて信用貨幣を使い始めたどの国でも同じことなのだ。

そもそも中央銀行は、困り果てた政府が土壇場で作り出した便利な機械であり、本来は政府に帰属する組織なのだ。ただ、ワイマール共和国や戦後日本などの例に見られるように、常識の範囲を逸脱することで、とんでもないインフレを引き起こす。そのブレーキ役として、中銀の独立性が語られているに過ぎない。

だが、日銀にプレッシャーを与えることと、日銀にFRBと同じ政策を押し付けることは、全く意味が違う。あの日銀批判の急先鋒の一人であったバーナンキ議長ですら、金融政策だけで過剰なレバレッジで壊れた経済を再建することは出来ない、と宗旨替えしているのである。だが残念ながら、永田町にはそんな情報が正確に伝達されているようには思えない。相変わらず「FRBに追い付け」の一点張りなのだ。

中銀は、本来的に余計なことはしてはいけない組織であるが、政治はそれを許さないだろう。おそらく「中銀の独立時代」はいずれ終焉し、先進国の中銀は設立当時の要請に戻って徐々に財政機関へと変貌を遂げていくしかないのではないか、と日々諦観を強めている。

2012年4月19日(第010号)