HOME > 2012

◆変貌した資本主義

◆ 疎まれる現代版の資本家

世界が金融危機から脱出して以来、経済回復を期待しては裏切られるというプロセスを毎年繰り返している。今年も年初から景況感改善ムードが高まったが、それは2009年以降毎年のことであった。今年もまたいずれ反動が来るのではないか、と数か月前のメルマガに書いた雑文は、決して的外れでは無かったように思う。欧州も依然として混迷を抜け出す気配はない。

こうした先進国経済の低成長ぶりを見て、資本主義という言葉の意味にかなり過敏になっている。既に本誌にも書いたことであるが、資本主義の定義には曖昧なところがあり、識者が書いた本の中でも市場経済と混同した記述が見られることもある。資本主義と社会民主主義とは両立しえない、という理解しがたい主張に出くわすことも少なくない。そもそも日本には「資本主義の本質を探る」という思考プロセスが乏しい。

だがそれは資本主義の先輩である欧米でも同じらしい。海外ブログでは、資本主義に関する話題が日本以上に飛び交うようになってきた。マルクスの「Das Kapital」からCapitalismという新語を生み出した欧米も、当時と現代の経済システムの相違について考えねばならない、という論調が増えてきている。つまり、今日はもはや「資本主義の時代ではない」ということかもしれない。

マルクスが「資本」に注目した時代は、資本こそが所有であり同時に経営を意味するものであった。それは必然的に、資本が搾取の動力となることを意味していたが、現代では所有と経営は分離されている。いまの大企業経営者は、明らかに資本家ではない。企業を所有する資本にせっつかれて、利益拡大を目指す一つのエージェントに過ぎないのだ。

つまり、彼等は原理的な資本主義に立脚している訳ではない。例外はあるにしても、現代の経営者の多くは、資本の再拡大ではなく組織内調整に成功した人々である。強引な資本再拡大を狙う人々は社内の鼻つまみ者となって左遷される時代なのだ。筆者もその意味で、邦銀に居られなくなった人種の一人である。

資本は本能的にマネーを動かそうとするが、エージェントがこれを拒めばマネーは動かない。金融政策が流動性の罠に陥ったのは、アニマルスピリッツが薄れたのではなく、経営者の変貌に見られるように、現代社会が本来的な資本主義ではなくなったからではないだろうか。

現代社会では、金融機関が憎まれることはあっても一般企業が「資本家」として批判を浴びることは少ない。むしろ企業に頑張って貰わねば、雇用や賃金が増えないからだ。労働者はむしろ経営者にエールを送るかもしれない。マルクス時代の資本主義とは、全く経済構造が変わってしまったのである。

その意味で、当時を髣髴させる「疎まれる資本家」とは、現代の株主としての機関投資家や経営者ではなく、資本と経営の双方を握るPEファンドのような存在かもしれない。ファンドが巨額の資金にものを言わせて出資を通じて経営権を握り、コスト削減と称して人員整理をする姿は、マルクスが描いた「資本階級」に相似形である。

それを嫌悪する風潮が、米国の大統領選挙を通じて表面的に表れてきた。言うまでもなく、共和党の大統領候補となったベイン・キャピタルの共同創設者ミット・ロムニー氏の登場による、世論の動きである。

◆ 資本主義にモデルなし

米大統領選で現職オバマ大統領と戦う共和党候補は、事実上ロムニー氏で決まりである。同氏は前マサチューセッツ州知事として知られているが、その経済感覚はベイン・キャピタル時代に培われたものだ。だがPE ファンドの創設者としての実績が、必ずしも米経済復活への切り札になるとは限らない。

同氏は、1977年にベイン & カンパニーに入社後、1984年にPEファンドとしてのベイン・キャピタルをスピン・オフさせて共同責任者として腕を振るった。同社のパフォーマンスの凄さは言うまでもないが、ロムニー氏の大統領選に向けた「売り文句」の一つが、そのファンド運営を通じて100,000人の雇用を作り出した、というアピールであった。それは、就任以来雇用問題を打開できないままの現職大統領への痛烈な批判でもある。

もっともこの「100,000人雇用説」には共和党の他候補者らも噛み付き、WSJ紙などもその信憑性の無さを暴いてきた。ベイン・キャピタルによる買収を通じて実際に雇用を増大させた企業は数社あるのは事実だが、それは同氏が経営を退いてからの実績だ、と言われている。さらに買収企業の中には、雇用を削減したり経営が行き詰ったりした企業もある。ロムニー氏が雇用増の秘策を持っている、というのはやはり誇大広告の誹りを免れないだろう。

そんな風潮を察知したのか、米国内の年金など主要投資家が、今年に入ってファンド出資に慎重になり始めている、という。どうやら機関投資家は、ロムニー氏を「社会の強者」へと押し上げてきたPE ファンド業界に肩入れすることを憚るようになったらしい。米国内の統計に拠れば、PEファンドへの出資の42%は民間・公的の年金基金だ。中でも公的年金は、出資先のファンドのリターンだけでなくその投資内容についても情報開示せねばならない。ロムニー氏の登場で、人員削減だけで利益を得るような投資対象に批判が集まることを警戒するムードが高まってきたことは否めない。

金融危機を境目に資金調達のペースが落ちてきたPE ファンドにとってこれは大きな痛手だろう。2007年第2四半期の絶好調期には2,140億ドルの資金を集めた同業界も、最近では四半期1,000億ドルの調達すら難しくなっている。昨年第4四半期の調達額は524億ドルに止まった。その中でも高いシェアを占める年金基金の動きが止まってしまえば、PEファンドの外部成長力は大きく阻害されることになる。

ロムニー氏は、所有と経営の二つを握る「前時代の資本家」の姿を思い出させてしまったのかもしれない。PEファンドに、旧来の資本主義モデルを重ねる人もいるのだろう。実際には企業再建・事業育成といった重要な使命を持つ筈なのに、それをアピール出来ないまま自己の利益実現というイメージが先行してしまったようだ。

ロムニー氏は、むしろ「資本主義に固定的なモデルなどない」と強く主張すべきだったのではないか。共産主義が持て囃された19世紀後半、大恐慌が吹き荒れた20世紀前半、新自由主義の嵐が吹いた20世紀後半は、いずれも全く異なる資本主義の世界である。21世紀前半も、恐らく過去とは異なる経済モデルが基本ソフトになるだろう。だがロムニー氏は、自ら新しい経済像を求めながらも「疎まれる資本家像」のラベルを剥がすことが出来なくなってしまったように見える。

もっとも世論調査ではロムニー氏とオバマ氏は接戦状態にある。最新の情報では、ロムニー氏支持が上回った調査もある。夏から秋にかけて米経済が減速すれば、さらにロムニー氏への順風が吹くことも想定される。それは、全世界に資本主義を再考させることへのアピールになるかもしれない。

まあどちらが大統領になったとしても、現代資本主義モデルの閉塞感を打ち破るチャンスが訪れることを望みたい。それは、これだけの時間を遣いながら結局独自の経済観を持てないままの日本にとっても、干天の慈雨となるかもしれないのだ。

2012年5月17日(第011号)