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◆10年サイクルの金融市場不安

◆ 40年サイクル説

以前、メルマガにも書いたことがあるが、ある友人から教わった「日本政治経済40年サイクル説」は結構当たっているように思える。特に理論的な枠組みがある訳では無いが、1860年代の明治維新、1900年前後の日清・日露戦争、1940年代の第二次世界戦争、1980年代のバブル経済、というようにほぼ40年サイクルで動乱と絶頂を繰り返していることは偶然とは思えない。

経済学にも景気循環を語るキチン、ジュグラー、クズネッツ、コンドラチェフなど、良く知られた波がある。それぞれ40か月、10年、20年、50-60年といった周期を持つ波動であり、企業在庫、設備投資、建設需要、技術革新といった側面から説明される景気のサイクルである。だが上記の40年サイクルは、経済というよりも何か人間的な要素が影響しているような気がする。人間が社会に出て働くのは、一般に20代から60代までの40年間であるからだ。

まあこれは統計的ではなく所詮は「アネクドータル」な話なので、あまり真剣に捉えない方が良いかもしれないが、社会は理屈や数字だけで理解できないところがあるのも事実で、こうしたサイクルを全く無視することもあるまい。従って次の「2020年頃」にはどんな潮目が待っているのかを考えることも、決して無駄な作業ではないだろう。

極めて相場的な単純化をお許し頂くとして、幕府迷走の上での明治維新を底値に、日清・日露戦争を尊大なる高値と見、世界大戦敗戦を大底としてバブル経済を超高値とすれば、その40年サイクル説に従って現在は三番目の底値に向かって驀進中と考えることが出来る。「失われた20年」など、特に目新しい話ではないのだ。だが、2020年までにはまだ8年ほどある。

現在の閉塞感が数年で払拭できるとは思えないので、やはり新たな政治経済的な息吹が期待できるのはまだ先のこと、と腹を括るべきかもしれない。橋下旋風に「新たな日本像」を期待する向きも増えているが、所詮は小沢一郎と同じ貉の壊し屋の域を出るものではなさそうだ。本当の政治力は、現在の20-30代の新鋭が、本心からの危機感と真の実力を付けた頃に生まれるのではないか。

いま私の大学時代の友人が「次世代に賭ける現代史」というプロジェクトに取り組んでおり、そのテキスト編集に協力しているのだが、それはまさに20代前後の若者に、きちんと20世紀の歴史(政治・経済・社会・文化・科学・環境のクロスオーバー)を教えていこうというかなり意欲的(ちょっと無謀?)なものである。

歴史認識なしに外交も内政も有り得ない。だが現在の政治家や官僚には、独自の史観に基づいて21世紀を見通す眼力を持つ人材があまりに乏しい。それは、自分自身の実感をも込めて言えば、やはり戦後教育の大きな欠陥なのである。教育の「制度転換」ではなく「質の向上」そのものが必要なのだ。保守的な自尊心をくすぐるだけのポピュリズムでは、政治経済のシェイプアップは不可能だろう。

日本史と世界史を分割し、かつ政治と経済を分断して教えるような教育システムにロクな未来はない、という誰も見向きもしなかった私の持論を、そのプロジェクトが採用してくれたことは大きな進歩だ。もっとも、酒を飲みながらああでもない、こうでもないと編集作業を進めるそのテキストの完成は、たぶん来年以降になりそうだ。

◆ 個人的な10年サイクル説

その作業の中で、自分自身が為替や債券などの市場に放り込まれて以来、どんな出来事に翻弄されてきたのかを書き出してみた。すぐに思いついたのが1987年のブラックマンデーであり、1997年のアジア危機であり、2007年のサブプライム問題である。何と10年サイクルではないか。こじつければ、300円を割れたドル円が急激な下落に向かい始めたのが1977年である。私はこの為替相場を見て東銀という銀行を初めて意識し、その翌年に就職活動を始めたのであった。

もちろん、こんなサイクルは人それぞれである。為替一筋で来た人には、1985年のプラザ合意は外せないだろう。そしてテキーラ・ショックを契機にドル円が初めて80円を割れたのは1995年であり、LTCM破綻によって2日で30円以上棒下げしたのは1998年であった。再度の70円台突入は2011年であり、別に固定的なサイクルがある訳ではない。

為替よりも株価の方が景気循環の波動に反応する部分がありそうだが、それにしても大変動が周期的に繰り返されるという明確な証はない。10年サイクル説は、やはり私自身の仕事の巡り合わせに過ぎないように思われる。

だが個人的な話であるが故に、この「アネクドータル」な現象を捨て置けないでいる。それも市場で育った人間の性癖かもしれない。私のような市場畑はこうした「疑似法則」に弱いのである。経済循環論のように、在庫・投資・建設・革新といった具体的なベースは無いが、過去30数年のキャリアにおいて10年おきに自分の仕事を大きく揺さぶられるというサイクルの可能性を無視して2017年に大変な後悔をするとなれば、それこそ私的リスク管理として最低ではないか。10年サイクルの2017年を乗り越えたところに40年サイクルの2020年という節目が来る、というのも何かの因果かもしれない。

では2017年、つまり5年後に市場を大きく揺さぶる内外要素として、何が考えられるだろうか。現時点では、ユーロ崩壊リスク、超インフレリスク、デフレスパイラルリスク、中国政治経済崩壊リスク、大手銀行連鎖破綻リスク、サウジ政治リスク、中東核戦争リスク、ロシア政変リスク、北朝鮮暴発リスク、日本の首都圏直下型地震リスク、日英米国債リスクなど挙げればきりがない。幾つか重複して起きるかもしれないし、何も起きない可能性だってある。

その中で、敢えて市場的な影響度が計算しにくいものを挙げるとすれば、やはり日英米国債であろう。ユーロや銀行、新興国などの諸問題はある程度警戒・計算出来る。中東核戦争は確かに深刻な脅威だが、原油に限って言えば5年後の日本経済は節電やシェールガスのお蔭で石油依存度が更に低下している可能性は小さくない。やはり直撃弾としては国債が一番怖い。

中でも日本国債はちょうど需給バランスが崩れる頃でもあり、理屈からしても2017年の危機要素としてはかなり有力候補である。首都直下型地震による財政負担増と重なることで日本国債が怪しくなれば、英米の国債にも影響が出るだろう。つまり2017年は、現在0-1%台という超低金利にある主要国の国債市場が大荒れすることになる、という仮説は無視できない。

5月中旬に発覚したJPモルガンの巨額損失事件は、リスク管理の名を借りた投機の横行という面で、引き続き「Too Big To fail」という国家財政に直結した金融問題が未解決であることも浮き彫りになった。Barclaysの会長・CEO辞任で一躍スポットライトが当たった「LIBOR不正操作」も、訴訟続発となれば、大手銀行とはいえ経営不安に陥る可能性はある。これら大手銀行問題が、財政・国債波瀾への着火点になる可能性もあろう。

もちろん、安全資産の受け皿としての主要国国債が壊れる可能性は低い、との見方は依然として根強い。中銀の徹底したサポート体制も健在である。筆者も実は国債を永久債にして凌ぐといった手段によって国債暴落の回避は可能であり、むしろ異なるシナリオが有り得ると思っているが、この頼りない政治を見ていると、その愚かな対応で「国債=安全」という原発神話と同じような錯覚が一気に崩れる可能性も否定はできない。

国債ほど巨額資金を受容しうる市場は他に存在しないのは事実だが、原発事故のように自分の居場所が安全でないと解った時には、誰だって国債から逃げるに決まっている。売れなくなった国債は、まさに青森県の六ヶ所再処理施設のような「中銀と銀行と公的年金」という偏狭な場に埋め込まれていくのである。

もっともインフレが抑制されている限り、各国中銀はまだ量的緩和を進める余地が残っており、株価が下落し景気が足踏み状態になれば、マネー増刷はまだ進むだろう。現在のように、市場が警戒しているうちはたぶん暴落は起こらないだろう。あれ、意外に大丈夫じゃないか、と気持ちが緩慢になった時に、何かが起きるのだ。2017-2020年頃の大混乱というのは、そういう意味で如何にも有り得る話のように思えてならないのである。

2012年7月19日(第013号)