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◆ビル・グロス氏の警告

「時はカネなり」という至言がある。だがカネは時間切れになるかもしれない、とは誰も言わなかった。

いつか編集ノオトで紹介したように、PIMCOのビル・グロス氏は今年2月、こんなフレーズで投資見通しを始めていた。そしてその中に「超新星の終焉」を示す写真を掲載している。彼は続けてこのように述べている。

現代のグローバルな金融体系を特徴づける「クレジット・システム」も進化の過程にある。140億年前のビッグバンで始まった宇宙が、急激な膨張の末にいずれ急縮小して消滅すると科学者が語るように、我々の通貨システムもその存在を維持する為に永遠の膨張を求めながらも、そのクレジット市場の中には熱力学のエントロピー増大の法則が適用されることになるかもしれない。もしそうならば、その閉じた系の中にいる債権者、債務者そして投資家はその経済的な意味について論理的な帰結を考えておかねばなるまい。

そしてグロス氏は、英国の詩人でありノーベル文学賞の受賞者でもあるT.S.エリオットの名前を持ち出している。エリオットは1925年の「うつろな人間たち」の中で物理学者よりも一足早くビッグバンを予見し「世界はこんなふうに終わる。バンとも言わず、すすり泣くように」と書いた。静寂の中に、世界は終わるのだ。グロス氏は、そして現代の通貨システムも、と言いたげである。

実はグロス氏は2005年にもT.S.エリオットの名前を持ち出したことがある。その2年後に、米国の住宅バブルは弾けて世界は恐怖の淵に立たされたのであった。だからという訳でもないが、筆者にとって、やはりこの警告は気になるのである。グロス氏は続けて言う。

クレジット市場の「ビッグバン」についてまず整理しておこう。現代のクレジット市場は預金とレバレッジで始まった。銀行は預け入れられた預金を100%保有する必要がない。これが「Fractional Reserve(部分準備)」と呼ばれるシステムだ。これが我々にビッグバンをもたらした。この発生時期は宇宙のビッグバンよりもっと明確に特定できる。それは1913年のFRBの創設だ。この存在が、金融市場と実体経済への信頼感となり、生産的な世界経済を導く重要な要素となったのである。

レバレッジは誤解されやすい言葉である。確かに過剰となれば不安定を生むが、レバレッジを否定すると成長が止まってしまう。その分岐点は何だろうか。それはやはり借入を行う際のコストとリターンとの関係に帰着する。グロス氏もそう語る。

最初に預金から派生するローンはどう設定されるのだろうか。その金利は、実質成長率や富の実質リターンに極めて近い水準となる筈だ。貸し手はリスクを正当化する金利を要求し、借り手はその調達によって利息支払いを超える果実を手にすることを期待する。だが債権者が求める実質金利を超える成長を経済が見出せなくなり、一方で株主が二桁近いリターンを要求するようになると、このシステムは更なる信用創造を求めるようになる。

その結果として、「Another day older and deeper in debt」という1950年代の歌の歌詞を持ち出して、将来の金融システム像を老いぼれた借金だらけの生活に準えてみせる。因みにこの歌は「Sixteen Tons」というタイトルの、炭鉱で働く労働者の辛い毎日を歌ったものだ。「また年をとって、借金は増えるばかり」とでも訳すことが出来ようか。

だが人間と違って市場社会の場合、その貧困は次世代へと受け継がれてしまうのだ。グロス氏はあのハイマン・ミンスキーの偉業を持ち出して、既に現代経済社会は「ヘッジ・ファイナンス」と「スペキュラティブ・ファイナンス」の域を超えて、「ポンツイ・ファイナンス」に向かって走り出してしまった、と嘆く。

ミンスキーが1971年の金本位制廃止の直後にその概念を発表した当時は、過大なレバレッジが適宜縮小するような景気循環を胚胎したモデルが想定されていた筈であり、現在のような加速度を以て信用が拡大し続けるような経済は、彼すらも想定などしていなかっただろう。信用縮小の過程はあったが、それは極めて緩やかなものに止まっている。ミンスキーの時代には3兆ドルほどでしかなかった米国の信用残高はいまや56兆ドルに達しており、モンスターのように更に増え続けている。そして信用残高の増加が実質GDPを押し上げる効果は年々低減している。この「クレジットのNew Normal」は、まさにエントロピー増大と相似である。

企業には利益が必要だ。同様に投資家にも利益が必要なのだ。低金利であればレバレッジで何とか賄おうとする。中央銀行は信用増で懸命にそれを支える。だが実質金利がマイナスの際には、どんなにレバレッジを掛けてもプラスにはならない。米国は実質マイナス金利のままだ。そして実質金利が高かった日本は、米国に追随するかのように実質マイナス金利を求めて更に信用増へと向かい始めている。どこか間違ってはいないのか。

現代の貯蓄・投資モデルは「実質金利プラス」を前提とした体系である。だがゼロ金利政策はそのモデルを揺さぶっている。銀行のマージンは圧縮され、保険会社の負債はリターンを上回り始める。給付額不足に悩む年金は、拠出額の増加や政府の救済を求める。かくして成長への幻想が消失し、信用増は生産増ペースの低減だけでなくマイナス効果すらもたらすようになり、その影響はクレジット市場にまで及ぶ。これは過去10年間、日本が体験してきたことであり、信用の効果が薄れていく現象は、米国も含めた先進国に波及しつつあるのである。

グロス氏はこう語り、欧米における日本化は不可避であると結論付けている。彼の目には、アベノミクスなど関係なく、既に日本市場はエリオットが述べたように「すすり泣きながら終わる」状態だと映っているのかもしれない。

筆者はまだそこまで悲観的ではないのだが、安倍政権への期待感だけで無邪気に沸き上がる株式市場や、警告の一つも発することが出来ない国債市場を見ていると、こうした見方を一概には否定できないような気もする。

グロス氏の「超新星爆発説」も一つのメタファーに過ぎず、いますぐその相場観に飛びつく必要もないだろうが、歴史的な大局観を持って相場に臨むことは常に必要だ。信用は、現代金融が発見した宝であった。だが21世紀の市場は、その宝を掘り尽くした後のことを何も考えていないのかもしれない。

2013年3月21日(第021号)