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◆ 玉川大学 島教授との対談

本年第一回の対談企画は、日本と世界の銀行問題に関して、大学でファイナンスを教える島義夫教授に編集人が意見を聞く形式で2011年12月7日に行った対談の記録を掲載致します。島教授は、外資系の格付け会社や証券会社での勤務を通じて、銀行を中心とするクレジット分析を日本で最初に手掛けられた専門家です。

<倉都>今日は島さんに日本から欧州、米国を含めた銀行に関する問題点や将来像などについてお聞きしようと思います。島さんは今大学教授をされていますが、1990年代に日本で銀行問題がクローズアップされた際には、格付け会社や証券のリサーチ部門でその問題を現場でご覧になってきましたね。まずはその1990年代の日本の金融問題対応(公的資金・不良債権処理・破綻処理など)に対する総括的な評価をお願いします。

<島>金融行政を担った大蔵省・日銀・自民党が、無能で傲慢で対応が遅かったことに尽きるでしょう。その数年前に欧米で銀行危機があったのを知りながら、また1929年の金融恐慌という自国での経験や教訓がありながら、それらを無視したんです。間違っていたのは金融行政だけでなく、銀行経営やメディアも投資家もみんな間違っていた。そして、一部の銀行役員をスケープゴートにして他の責任を追及せず、誰も責任を取らなかった。金融ビッグバンが銀行危機と重なったことも、不幸なことでした。結局、自由化というものへの悪い印象が残り、外資においしいところを持って行かれたという悪感情が生まれ、金融改革のモメンタムが失われてしまった。

2003年以降徐々に経済が回復する中で、銀行は結局変われないことが明らかになっていきました。甘くておいしい国内のリテール・ミドル市場、株式の持ち合いと、親密取引先との関係で外部からの声を遮断し、内部の人間だけで構成する取締役会など、旧態依然とした構造が硬直的な銀行経営を支えています。プロを育てようとしない人事制度も相変わらずです。クオリティの高い人材が犠牲者になっている感はまだあります。

<倉都>海外との比較ではどうでしょう。

<島>欧州の銀行問題は、確かに日本に似ていますね。ただドイツの場合は強烈な哲学があるので日本とはやや違いますが、時間を掛けて先送りしようとしている面では同じでしょう。小泉・竹中路線で大胆な不良債権処理を行ったおかげで邦銀は自己資本増強に踏み切れた。あれがなかったら今頃まだ資本調達で苦しんでいたかもしれません。

<倉都>あの不良債権時代からもう10年以上経つのですが、りそな銀行や旧長銀・旧日債銀はまだ公的資金が残っています。これは行政の失敗なのか、各行経営の問題なのか、或いは別のところに責任があるのでしょうか。

<島>一般的には銀行の低収益性の問題です。利益による自己資本の蓄積が出来ないということなので、経営問題だと言えます。親密先への低利融資、低金利の国債投資に加えて、見栄を張って資産圧縮をやらないとなれば、自己資本問題は解決しません。個別に見ると、りそなは住宅ローンに注力してはいるが決定的に収益不足、旧長銀と旧日債銀はフランチャイズ不足という構造問題です。彼等はもともと生き残りが難しい銀行でした。

<倉都>残すべき銀行と整理すべき銀行という行政判断が出来なかったようにも思います。北拓破綻の影響で、整理するという発想にブレーキが掛かったのではないですか。Too Big To Fail (TBTF) 的な思いがあったかもしれません。

<島>確かにそれはありますが、旧長銀の場合はサラ金問題への最高裁判決が重くのしかかったと思います。必死の生き残り策が否定された、という気の毒な面はありますね。長信銀は別として、一般論として本当に重要な銀行についてはTBTFへの配慮もやむを得ないと思います。経営責任を問う必要はありますが。

逆説的ですが、金融危機はシステムを浄化させるという意味で、多少システムが揺らぐことは必要悪なのかもしれません。日本はあれから10年以上危機が全くないので、金融が沈滞しているとも言えます。

<倉都>確かにそういう見方もありますね。ただTBTFは財政的な問題と社会的反感の二つの意味デ、従来よりも実行が難しくなっていると思います。原発対応などを見る限り、今のような行政能力では国民を説得するのは不可能でしょう。日本で1990年代と同じような処理を期待するのは難しいのではないでしょうか。

<島>そうですね。それに今日の救済の対象が銀行だけでなく市場にも及んでいるというのは大変なことだと思います。その意味では、市場をも破壊する可能性のある激震のような金融危機は避けるべきでしょうね。

<倉都>さて邦銀はここ数年で海外再進出といった動きも出ており、欧米市場の余波を受ける可能性もありますね。その一例が三菱UFJのモルガン・スタンレー支援ですが、島さんはこれをどう評価していますか。

<島>誰がどう見てもモルガン・スタンレーが一時凌ぎで三菱UFJの資金力に頼っただけで、最初から長続きする訳ないと思っていました。予想以上に長続きしているのは、モルガン自身の立ち直りが困難になっているからです。かと言って三菱UFJにも取り込む力がありません。日本側の硬直的な経営手法では、有能な人材に逃げられるだけでしょう。つまりは両社ともに手詰まりで、当面現状を維持するしかないでしょうね。

<倉都>ここにはどうしても住友とゴールドマン・サックスの一件がだぶって見えてしまいます。

<島>両者で違うのは、住友は少なくともゴールドマンへの投資で利ザヤを稼ぐことができたのに対し三菱のモルガン・スタンレーへの投資は沈んだまま、ということですね。世界の金融業界の構造が変わって収益源が先細りなので、モルガンの回復は厳しいと思います。

<倉都>私も実は同意見で、それに比べると野村のリーマン欧州・アジア部門買収は良い判断かなと思ったのですが、こちらも雲行きはやや怪しいようですね。

<島>買収した時のリーマンの事業価値が劣化しています。米国市場の落ち着きやアジアの成長によって、有能な人材が流出したと聞きます。国内では元リーマン社員への特別な処遇がやっかみを生んで、組織統合が上手く行かなかったようです。結局、三菱UFJと同じで野村も甘い株主構造と硬直的な人事や経営の下で、買収による企業価値アップが出来ないということでしょう。結局、大手証券の収益を支えているのは甘い国内リテールなのです。

<倉都>野村をメガバンクが買収するといった週刊誌報道もありました。やや意外感があったのですが、そんな可能性はあるのでしょうか。

<島>私もびっくりしました。確かに時価総額は相当低いので買おうと思えば買えるのでしょうが、企業体質として融合できるとは思えません。いかにも唐突な話で、現実味はないでしょう。証券会社の問題はも銀行と同じで、おいしい国内リテール事業が経営を支える一方、収益性の低いグローバル・ホールセール事業をどうするか、に尽きますね。

<倉都>一方で、銀行に関しては欧米銀行の体力低下で邦銀にチャンスあり、との見方もあるようですが、具体的に何か有効な戦略は有り得るでしょうか。

<島>大手邦銀は資金規模など一定のプレゼンスもあり海外事業の展開もありますが、依然としてグローバル・プレーヤーとは言い難い。そもそも経営に外人などいません。大型買収などチャンスはあるでしょうが、経営の本音としてそんなことはもうやりたくない、というところではないですか。国内で何もしなくても預金が集まり、取り敢えず国債を買っていれば収益が出ます。株主からも海外展開で企業価値を挙げろ、といったプレッシャーはありません。チャンスはありますが、それを生かせるかどうかは別問題です。

<倉都>少し視点を変えて、最近島さんが指摘されている邦銀劣後債に関する問題点(リスク)について説明して貰えますか。

<島>劣後債はバーゼル1の時代に自己資本対策として重要でしたが、今日ではコア・キャピタル重視に傾いている為、銀行にとっての重要性が減っています。とは言っても、日本では依然として資本を補完するための劣後債発行は続いている。最近も三井住友や野村証券が劣後債を発行しています。そういう劣後債が安易に個人に売られているのは問題だと思います。特に問題視しているのは地銀の劣後債が絶対的な利回りの高さを売りに個人に販売されていることです。リスク・とリターンが見合わないものが目につきます。地銀の中には経営力の脆弱なところがありますので。過去に、実質的な損失が発生したものもありますし。

<倉都>銀行再編の可能性についてはどうでしょう。

<島>再編の必要性があるのは中位・下位の銀行で、地銀も中下位行でしょう。メガバンクの経営者は必要性を感じていないでしょうが、競争を促進するにはむしろメガバンクを分割した方が良いのではないかとも思います。

<倉都>分割には規模を小さくするやり方と機能を分けるやり方がありますが、どっちがいいでしょう。

<島>機能で分けると昔の専門銀行的な垣根スタイルに戻ってしまいます。やはりメガバンクは規模の縮小化で競争するのが良いと思います。大手地銀に関しては、仮に道州制が導入されても現状の体制は残ると思います。

<倉都>邦銀に関する最後の質問です。いま邦銀株は割安で投資妙味がある、というアナリストもいるようです。これにはやや違和感もあるのですが、投資対象として邦銀株をどう評価されますか。

<島>PBRは0.6あたりまで割り込み、配当利回りが高いという意味で、確かに割安と言えば割安です。セクターとしても無視できません。かといって銀行セクターをオーバーウェイトする理由は全くないでしょう。収益性や成長性に魅力がないからです。PBR1倍以下というのは、銀行が資産を有効に活用していないという市場評価であるとも言えます。つまり今の市場評価が適切だと言えるように思います。見栄で100兆円の資産規模を維持するといった経営が続く限り、魅力は出てこないですね。

<倉都>さてこれまで主に日本の銀行問題を中心にお話を伺いましたが、少し補足としてガバナンスについてもお聞きしておこうと思います。巨額の損失隠しというオリンパス問題はかなり衝撃的でしたが、銀行にもそうした事故・事件への備えは必要でしょうね。

<島>その通りです。役員会・取締役会が仲間内や取引先で囲まれている体制はリスクが高いと思います。銀行の人たちからは「ここ10年間で銀行経営も大きく変わった」という声を聴くのですが、どこが変わったの、といつも聞き返してしまいます。中途採用や契約社員を増やしたとか、ボーナス査定が厳しくなったとか、そんなのは変化ではありません。むしろそれを変化だと感じているところに感覚のズレを感じざるを得ません。株の持ち合いや取締役・役員構成こそが変わらぬ銀行経営の本質です。

<倉都>加えて、本誌の話題にも関連するのですが、日本の場合、銀行・証券を含めたホールセール部門の低収益性という課題がどうしても付き纏います。この構造は何とかならないものでしょうか。

<島>これは永遠の疑問です。ホールセール部門には優秀な人材も多い。その一方で、仕事や能力が適切に評価されていない、という人事制度的問題もあるのでしょう。恐らく努力が報酬や昇進に結び付いていません。経営者・管理者が部下に適切な指示を出していない問題もあります。ビジネスの実感的な体験が上司にない、上司が無能だという不満もよく聞いています。せっかくの有能な人材を使いこなせないという問題でしょう。

<倉都>さて、それでは大揺れが続くユーロ圏市場の話をお聞きします。欧州系銀行の今後の展開をどう見ておられますか。

<島>報道などで見る限り、ユーロ危機は金融恐慌にありがちな「恐怖心が恐怖心を呼ぶ」という状況にあると思います。この連鎖を抑え込むには、確かに「バズーカ砲」が必要なのかもしれません。但しその際には誰が最後の貸し手なのか、が明確にならなくてはなりません。ユーロではそれが不明確ですね。その上で、損失処理を明確化し金融機関の健全性を維持せねばならないのです。日本の不良債権問題とまさに同じ構造です。

ただ欧州の場合、損失問題がちょっと複雑ですね。ギリシアの場合は、元本が返ってこないのがほぼ確実ですが、イタリアは意味が違うでしょう。つまり、恐怖心の連鎖が止まればイタリア国債の価格は戻ります。そうなれば、銀行システムも限界的な再編で済むでしょうから、ギリシアやポルトガルで事が収まれば、問題は処理可能だと思います。

<倉都>ギリシアとイタリアの区分の必要性は全く同感です。前者はデフォルト・リスク、後者はリクイディティ・リスクです。但し市場はパニックを起こし、政治がその処方箋を掛けない事態が続けば欧州の金融恐慌を抑えることが出来なくなりますね。

<島>そうです、下手をするとリーマン・ショックの再来になってしまいます。ドイツが瀬戸際作戦を取り続けているので、よく読めないところがあります。主導権を握るメルケル首相は明らかに市場の期待には応えない、という姿勢で一貫しています。最終的には、ユーロ圏債務問題は、日本の銀行問題と同様に数年間続くのではないかと考えています。

ただ当時の日本の大蔵省の場合は哲学もないまま、市場の圧力と外資系金融に押されて右往左往したという感があるのに対し、ドイツは首尾一貫して市場と対峙する姿勢を見せているので、市場不安はいつまで経っても払拭されない、という事態になることは十分予想されます。

<倉都>ユーロ圏市場の混乱の背景には格付けの問題もあるように思います。結局、企業格付けと違ってあまり根拠のないソブリン格付けが、市場変動を増幅したのではないか。格付け会社にもおられた島さんは、その点をどう評価されますか。

<島>ソブリンと企業の格付けが違うのは事実です。ただ日本のソブリン格付けはだいぶ前からAAAではありません。それでも何の混乱も起きていない。ドイツがAA+になるといって騒ぐ方もおかしいとも思います。日本と同じで、それ自体は何も問題を起こさないでしょう。ソブリン格付けが問題になっているのは、格付けに代わるクレジット情報の伝達制度がないことです。それは金融機関の怠慢でもあると思います。金融機関のなれ合い的な審査よりも第三者からの格付け評価の方が信用されているわけです。国債の大部分を買っているのは銀行ですから。自分でリスク判断せずにギリシア国債を買って、デフォルトしそうなったら格付けに文句を言うというのは、どう考えても変です。

<倉都>本当にそうですね。欧州だけでなく日本や米国にもないですね。これも銀行の課題ということでしょうか。通貨問題に対しても銀行は準備が足りないような気がします。

<島>ギリシアがユーロから外されるようなことがあれば大変ですね。自国通貨は暴落して、輸出産業が無い中での超インフレで生活水準は急低下するでしょう。だからこそ何とか皆で現状を維持しようとしているのですが、問題を先送りしようとすればそのツケも必然的に長期化する訳です。いつまでも問題が残ったままというのが、欧州が選択しようとしているシナリオなのです。まあ一貫したポリシーがあれば良いのではないか、とは思いますが。

<倉都>やはりドイツが鍵を握っていますね。経済問題を解決するのは市場ではなく政治だという明確な姿勢を採りつつ、一方では困った奴は助けないという意識もはっきりしている。これで共同体が上手く運営できるのかどうか、よく見えません。これまで市場で英米スタイルを見慣れていたので、ある意味では新鮮です。

<島>こういうやり方もあるのか、という点では確かに面白いです。一貫している点は評価できます。ただドイツにヨーロッパにおけるリーダーシップをとる準備はできていないでしょう。そこに大きな矛盾は感じますね。

<倉都>一方で、米銀は相対的に健全との声もありますが、その経営リスクも全くないとは言い切れないように思います。欧州の銀行で何か起きれば米銀にも影響は出るでしょう。

<島>米銀は自己資本が繰り延べ税金資産に頼っているという問題はありますが、特に損失隠しをしている状態ではなく、欧州の銀行よりもマシですが、立ち直りにはかなり時間が掛っています。それは収益力が改善していないからです。従来の収益源が使えなくなったことが大きいですね。トレーディングに規制と市況悪化という制約が加わって、証券化という甘い収益源もなくなってしまいました。明らかに経営環境は悪化しており、濡れ手に粟のような商売もなく、投資銀行部門はもっと縮小するでしょう。商業銀行も含めて、業界全体のもう一段の縮小今トラクションがあると思います。

<倉都>既にモルガン・スタンレーやバンカメなど個別の経営問題はありますね。ただそれがもっと具体化して一般化すると、リーマン・ショックの再来という嫌な話も出てくるかもしれません。市場にその備えは出来ているでしょうか。

<島>事前に特定された部分で何か起きることに対してのショックであれば、吸収されると思います。2008年は、どこがどうなるのか全く予想がつかなかったのですが、今はそういう状況ではありません。沈む船が一つ二つであれば大丈夫でしょう。

<倉都>欧州は依然としてユニバーサル・バンキングですが、米国では投資銀行と商業銀行に分かれており、それぞれに問題を抱えています。経営的にはどちらに優位性があるのでしょうか。

<島>投資銀行はハイリスク・ハイリターンの世界ですが、そのハイリターンの源泉が無くなってハイリスクが残ってしまったので、より厳しいでしょう。商業銀行は景気循環であれば何とか凌ぐことが出来ます。ただ大手米銀は欧州同様に両方の機能を持っていて、その双方で高いコストに苦しんでいるという局面にはあります。また、市場機能の拡大で商業銀行の役割は確実に低下しています。どちらに優位性が、というのはなかなか付けにくいですね。いずれも、金融ビジネスは存在意義の見直しをも踏まえた業務縮小や人員削減などはまだ必要でしょう。

<倉都>その中で「To Big To Fail (TBTF)」は放置されたままです。このままでは金融不安が再燃する可能性があるのではないでしょうか。

<島>TBTFには批判が多いですが、大規模な銀行は潰さないという原則は間違っているとは思いません。金融危機を悪化させ長期化させるよりも税金で救った方がマシだと思います。問題は、それが起こらぬように金融機関の暴走を止めることです。ただ、規制で縛りまくる方法と、一定の自由を認めて時々危機が起きるのとどちらが良いか、といえば、私は後者の方に創造的破壊というポジティブな意味があると思っています。

<倉都>ただ、財政的に救えないような「Too Big To Be Saved」になるとそうもいっていられないかもしれません。現実に欧米にはそうした巨大銀行があるように思います。米国では「ウォール街を占拠せよ」の運動に呼応するように、議会においても反金融的なムードが強まっていますね。

<島>そのリスクはあります。金融危機終息に失敗するリスクは否定できません。20世紀前半に巨大企業を分割した米国がシティグループのような巨大銀行を作ってしまったことは意外でした。政治と金融が近付きすぎたことの反省は欲しいところです。以前の米銀経営者はいわゆる「良家の子女」で政治家とは血縁などでつながっていましたが、ビジネスと政治との距離を適切に管理していたのですが、ここ10-20年で経営者になったのは能力主義でガツガツ稼いだ人々です。そんな「成り上がり」的な新しい経営層が、政治との程よい距離を壊してしまったのではないでしょうか。ゴールドマンの元CEOで上院議員やニュージャージー知事も務めたコーザイン氏が引き起こしたMFグローバルの問題が、こうした流れを変える一つの契機になるかもしれませんね。それを期待しています。

<倉都>それは面白い視点だと思います。いずれにしてもやはり銀行の規模縮小は必須であり、また必然なのでしょう。最後に、S&Pによる米国格下げについて一言お願いします。

<島>格下げを断行したS&Pは「青いなあ」という感じです。真面目だという意味です。Moody’sは公開企業なのであまり波風立てたくない。FITCHは新参者なのであちこち顔色を窺いながら対応しようとしている。その意味では、S&Pの大胆な判断はもっと評価されてもいいかなとは思います。政府の人たち以外に困った人はいないではないですか。

<倉都>今日は長時間、どうも有難うございました。