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◆「相場を科学する」から20年

本誌編集人が本年初に講演を行った後、出席した金融機関若手数名との会食に招待されて質疑に答える機会がありました。これは、編集人の「相場を科学する」出版20周年を記念して、講演企画幹事が設営したものです。今回は、その質疑応答の様子を纏めたものを対談企画として掲載させて頂きます。

司会「本日は倉都氏に金融不況長期化の可能性というタイトルでお話して頂きましたが、今晩の話題はそのテーマに限りません。実はあの講談社ブルーバックスの『相場を科学する』が出版されたのが1992年4月であり、今年が20周年に当たるということもあり、そんな話も含めてご質問頂ければ、と思います。」

A氏「私はいま邦銀のソウルで貿易ファイナンスをやっていてたまたま今週日本に出張しているのですが、本日の講演にあった先進国の金融機関における低迷構造という点に絡めて日本の金融機関の潜在性についてお聞きしたい。日本の金融はどう変身しても今回のチャンスが生かせない、と思っておられるのですか。」

倉都「まず日米欧の現代の金融発展プロセスを簡単に整理しておきたい。米国は、商業銀行と投資銀行を両輪とする上手い形態を採りながら、極端に資本市場とレバレッジに依存する方向性を選択して失敗していった。欧州は、植民地時代に培った海外依存モデルを遂行することで、内部的なダイナミクスや効率化という視点を疎かにしてしまった。どちらも見直しが要求されているのです。だが日本はと言えば、未だに高度成長期時代の発展モデルから脱していないという構造問題がある。昨年の『Voice』にも書いたのですが、組織も内外の急速な変化に対応する柔軟性がない。欧米が事業売却をしようとしても、海外ビジネスをマネージする素材が育っていない。融資を肩代わりするのは簡単だが、ドル建て・ユーロ建てである限り、資金のアベイラビリティ・リスクは残る。1980年代に爆発的に拡大させたドル建て保有資産を、1990年代に投げ売りせねばならなくなったあの惨劇を、日本勢が忘れているとすれば逆に深刻な経営問題です。」

A氏「となれば日本の銀行は何処に活路を見出すべきなのか。ある先輩は中堅の米銀を買収することでドルのアベイラビリティ・リスクは減らせる、と言っていました。」

倉都「商業銀行の基本的モデルは国内基盤です。クロスボーダー取引で稼ぐモデルは『ドルの時代』そして『資本市場の時代』の到来で米国勢の独擅場になってしまった。円ベースの日本の限界です。なぜ日本は製造業で成功するのに金融業はダメか、という理由はひとえに通貨力にあります。またドル調達力に関しては、日本の商業銀行が米銀を買収した例として旧東銀による米中堅ユニオン・バンク買収という例がありますが、それでドル不足が解消したとは言い難い。アジア戦略に関しても円が使えないのは致命傷です。ドルのシェアが低下してもいずれ人民元にその分をさらわれることになるのではないか。だから通貨バスケットの研究を、と問題提起しているのですが、邦銀からの反応は殆どないですね。」

B氏「私は投信会社で運用を行っています。米国では金融依存の経済モデルが崩壊した、というお話がありましたが、それは金融が自暴自爆で自壊したというよりも、年金基金などのROE引き上げ要求で経営は暴走せざるを得なかった、と考えられるのではないかと思います。」

倉都「それはもっともなご指摘だと思います。そもそも欧米の経営がROE上昇に血眼になったのは、年金やファンドなど株主の突き上げが背景にある。私の米銀勤務時代、NYの大ボスに東京での不満分子の話をしたら、経営にとって心配なのは株主と格付け会社であって職員はその次だ、と言われてショックを覚えたことがあります。如何にROEを挙げるかは確かに重要な経営課題でしょうが、それが行き過ぎたのは、株主から見捨てられる可能性が強まったから。元ゴールドマンの友人は、同社の体質が急変したのは上場がきっかけだ、と言っていました。IT産業のROEが20%で金融業が10%なら、機関投資家は金融株を買わない。株が上がらなければ、経営者の報酬や資産価値は増えない、という構図です。年金基金だけではないと思いますが、そうした強烈な株主の投資哲学が金融業を歪めた側面は否定できない。アグレッシブな株主は、危機の影の主役です。」

B氏「ただ、欧米の金融機関の中にはROEの20%復帰を宣言しているところもあります。結局はまた危機の前夜に逆戻りするのか、或いは新たなブレーキ機能が備わったと見るべきなのか。」

倉都「金融経営としては何とか『原状復帰』したいところでしょうが、収益面では講演で述べた通り、相当苦しい。コストカットを大胆にやるしかない。ただ行き過ぎるとモラル低下に直結します。先般米国金融機関を退職して帰国したある旧友が、ウォール街はボーナスカットでインセンティブ低下が著しい、と言っていました。ただ、赤字決算ならボーナスなど無いのが当然です。甘えの構造は継続している。ボルカー・ルールも骨抜きになりそうだ、と彼は言っていましたが、金融行政もどこか変です。導入された筈のブレーキ役が効かないのでは、危機再来という可能性は否定できないと思います。昨年、私が解説を書いたサイモン・ジョンソンMIT教授の「国家対巨大銀行(ダイヤモンド社)」を参考になさって下さい。こうした懸念については、立教大学の山口先生らとの共著で、今年の夏あたりに岩波書店から出る本に纏めるつもりです。」

C氏「日本の銀行でシステム開発をやっています。人事部推薦図書にあった金融史がわかれば世界がわかる、という本を読みました。正直言うと、リーマン・ショック前の本ということもあるのでしょうが、金融商品にはかなり好意的な見方をされているように感じました。ここ数年間でその考えが変わったという点はありますか。」

倉都「金融商品に対する考え方は、殆ど変っていません。いまでも利便性の高いデリバティブズや証券化商品の役割は公平に評価すべきだと思っています。但し変わったところもあります。それは、規制当局のグリップの甘さ、金融技術の加速度的な複雑化、新商品普及の速さ、などへの認識です。CDSなど、一定の理解者だけの市場を超えて、無知な人々にまで猛烈な勢いで波及してしまった。これは『元技術者』としても想定外でした。原発は安全神話が浸透する形でリスクをばら撒いてしまいましたが、金融はそんな神話が出来上がる前に、つまり思考が熟成される以前の段階で、普及品になってしまった。これもある意味では悲劇でした。」

C氏「ただ、一般的には金融の技術開発には大きな疑義が提示されて、金融は余計なことをするな、という風潮が強まっています。金融機関の中にもそういう論調は強まっています。先ほど、技術の無い産業は生き残れないという話があったかと思いますが、金融の場合はどう考えるべきでしょうか。」

倉都「ボルカー元FRB議長が言うような、この四半世紀で最も役に立った金融商品はATMだ、という議論には賛成ではありません。私にとってボルカー氏は尊敬しうる数少ない金融人であり、ボルカー・ルールにも賛成ですが、金融商品への意見については異論があります。証券化は極めて優れたバランスシート活用策であり、この利用拡大なしに21世紀の金融モデルは考えられない。CDSも必要不可欠で、スワップやオプションが無かったら、企業財務は行き詰っていたことでしょう。問題は商品にではなく使う人にあります。私はこれを『包丁リスク』と呼んでいるのですが、いまだに包丁がリスクの根源だと思っている人が多いのには愕然とします。証券化ビジネスの遅れによって、金融産業は悲惨な衰退過程に入った可能性もある。一方で、規制を受けない『シャドー・バンキング』の勢いが増して、これが攪乱材料になるという副作用を促すこともあるでしょう。」

D氏「外資系で富裕層ビジネスを担当しています。先日『危機第三幕』という本を読みました。今日のお話の関連で、日米財政赤字の第三幕がやってくる時期のイメージがよく解りませんでした。日米ともに長期金利は当面低いままのように思いますが、いつかは上がるでしょう。仕事上、顧客にどうリスクを説明したらよいか、結構悩んでいます。」

倉都「先週、NHKのクローズアップ現代に出演した時、同じような質問が国谷キャスターからあって、隣の伊藤隆俊教授は『5年くらいは持つかな』と仰ってました。私は敢えてそこまで持たないかもしれないですね、と答えたのですが、本音を言えば日米ともに2-3年後には危ない場面に遭遇する可能性があると見ています。一気に危機突入というよりも、市場に揺さぶりを掛けられるという感じです。いわば、小さな地震が頻発して、いつ大地震が起きるのか、という恐怖感ですね。今の日米の政治を見る限り、両国ともにそれを回避できる、という期待感を持つことが難しい。日本は総選挙で自民党が勝っても駄目でしょう。米国はオバマ再選の色が濃そうですが、上下院ともに共和党という構造になる可能性が強く、向こう4年間も財政赤字は拡大の一途を辿りそうです。但し、講演でも述べたように銀行と年金そして中銀に低利国債を押し込むFinancial Repressionで凌ぐ、という戦略はあり、と思っています。これについては昨年『Wedge』という雑誌で紹介していますので、機会があれば読んでみて下さい。」

D氏「自然体で考えて、数年後の日本国債の10年債はどの程度のレベルを想定しておられますか。」

倉都「この前、日経BP社の編集長から『もしも小泉進次郎がフリードマンを読んだら』という漫画本を貰ったので、パラパラめくっていたら、2015年に国債札割れとなって日銀引き受けが復活し、銀行が大量売却して利回りが二桁に、といったシナリオが展開されていました。それが、一般的に懸念されている姿を誇張的に示した図式です。現実には日本で二桁金利はちょっと考えられない。但し3-4年後に2%水準を超える可能性はかなり高いと思っています。でも暴落リスクに直面して政府が何もしないとは思えない。多分、時価会計を停止して、銀行にはECBのように日銀が長期流動性を与えて国債保有機関としての位置付けを鮮明にする。まさにFinancial Repressionです。私は、金利水準よりもむしろこうした政策判断の方に興味がありますね。危機第三幕は、危機封じ込め戦略が世界中至るところで展開されるという風に書き換えるべきかな、と最近思っています。であれば、その戦略が本当に成功するかどうかは第四幕のお話かもしれない。」

司会「最後に私から質問です。冒頭申し上げたように、『相場を科学する』から20年なので、あの本がどんな経緯で生まれたのか、マニアックな読者としてはちょっと知りたいところです。」

倉都「海外勤務を終えて、1987年頃に邦銀の資本市場部というところでヘッジファンドの真似事のような運用モデルを作っていました。多変量解析を使って「楽して儲ける」という今から考えると他愛のない目標の仕事でしたが、当時の上司が凄く気に入ってくれて、銀行内で結構評判になり、どこかで聞きつけた金融関係の出版社から「運用の計量分析」という本を出さないか、という打診が来たのです。勢いに任せて少し書いてみたのですが、当の出版社はよく理解出来なかったようで、話がまとまらないうちにまた海外転勤となりました。原稿が勿体ないので、ある出版社に勤める高校時代の友人の紹介で講談社のブルーバックスに原稿を預けて転勤したところ、勤務先の英国に出版検討したいと編集者から連絡があったのです。ブルーバックスにとって社会科学関係の第一号となりました。当時は手元にワープロもPCもなく、子供らの鉛筆を借りて週末に原稿用紙に向かって書く、という時代遅れの作業で仕上げたのがあの本です。」

司会「この本を読んだのがきっかけでシステム会社から金融系の会社に転職した、という人を何人か知っています。もう20年経つ訳ですが、やはり時代が変わると関心や興味の対象も変わった、ということですか。」

倉都「そうですね。相場の計量分析は経済物理学の人達に引き継いで貰えば良いと思っています。でも『科学する心』は変わらないですね。その言葉は、実験生理学の大家であった私の同郷の故橋田邦彦元文部大臣が1940年の著作で使ったものです。橋田氏の実家が私の実家のすぐ裏にあり、小学生の時に母親からその逸話を教えて貰いました。これは今でも頭にこびりついて離れません。出版第一号のタイトルに、勝手ながらその言葉の一部を使わせて貰ったのです。科学とは、別にパソコンを使って分析することではありません。実体経済や金融市場を、歴史的アプローチや、政治的アプローチ、アート的アプローチなどで観察することも『科学する心』だと思っています。いまは芸術から中世の金融経済史を眺める、というテーマに凝っているのですが、これはなかなか本にはなりそうもありませんね。」